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「妻は中国の女スパイ」 米国亡命の中国民主活動家、ツイッターで暴露

 米国に政治亡命した中国の民主活動家・劉剛氏は5月27日、ツィッターで自分の妻が中国軍部の諜報員であり、海外で中国の民主化を目指す活動家を制するために送り込まれた人間だったと暴露した。同氏のツイッターによれば、米国の法廷で妻は、自分が軍関係の学校を卒業し、特殊訓練を受けていたことを認めたとしている。

会って数時間後に「逆プロポーズ」


 1989年6月4日、中国当局に武力弾圧された大規模な学生民主運動「六四天安門事件」。劉剛氏は、その学生リーダーの一人だった。


 同氏のツィッターでの記載によると、「六四」弾圧後、同氏は約7年間投獄された後、1996年4月に香港に脱出した。同年4月30日、駐香港の米国領事館の支援を受けて渡米。後にコロンビア大学コンピューター学部に入学し、1998年に修士号を取得、ベル研究所や、シティバンクなどの企業に入社して現在に至っている。 


 劉剛氏と妻の郭盈華さんはいま別居しており、離婚の手続きを進めているという。郭盈華さんは、夫の暴露は彼女に対する誹謗中傷であるとして、法的措置を取る構えを示した。


 一方、劉剛氏は、自分には確かな証拠があると主張し、ツィッターでそれらの証拠を開示した。


 劉剛氏によると、渡米してからも、中国当局に反対する民主活動を積極的に行っていたため、「(私は)中国当局が全力で打倒すべき対象に挙げられていた」と言う。


 郭盈華さんとの出会いと結婚は、彼女が自ら仕組んだものである可能性を示唆し、劉剛氏はその経過を次のように記した。


 2007年6月、彼女はインターネット上で自ら劉剛氏に声をかけてきた。米国の一流大学を卒業し、大手企業の管理職であるという彼女に、劉剛氏はすぐに好意を持った。


 ほどなく二人は対面したが、その初対面からわずか数時間後に、結婚したいという意向が彼女から伝えられた。「私は、それが米国スタイルと思い、その場で彼女との結婚を約束した」と劉剛氏は当時を振り返る。


 結婚後、妻となった郭盈華さんは、劉剛氏の経済面と政治活動に「厳しい制限」を講じ始めたという。夫の民主活動の主催を強硬に反対するほか、その活動への参加や、他の民主活動家との交遊まで制限する。そのほか、夫名義の口座の預金を全て自分の口座に移し、車や宝石、高級品などを買いあさったという。

実は特殊訓練を受けた大尉


 劉剛氏はツィッターで、妻が中国軍部の諜報員であったことを次のように暴露した。


 郭盈華さんは夫に対して、自分は普通の市立大学である上海大学を卒業したと称し続けていた。しかし劉剛氏はある集りで、上海で彼女のことを知っていた人から、彼女は軍の幹部であると初めて知らされた。夫の問いに対して妻は、ただ大学での通常の軍事教練を受けただけと、軍人であったことを完全に否定した。


 劉剛氏はツィッターで、すでにFBIに郭盈華さんを通報したと述べるとともに、米国の法廷において彼女が中国の軍人であることを彼女自身が認めたと伝えている。


 その陳述によると、彼女は中国の軍部の学校を卒業してから、数年間にわたって秘密の特殊訓練を受けた。軍の階級は大尉であった。彼女が米国のグリーンカード(永住許可)を申請する際には、これらの事実を隠し、虚偽の内容を記入をしていた。

プロ顔負けの技量と不審事


 また劉剛氏は、彼女がもつ通常ではありえない技量と、それに関係する不審点について、次のように述べる。


 ある時、彼女の車に試乗するようにと言われた。私がエンジンをかけると、すぐに異常を示す警告ランプが点灯した。そこで私は車に乗らず、5分後に屋内から工具を持って出てきたとき、彼女は車の複雑な内部装置を引き出し、何らかの操作をして再びはめ込んだ。すぐに警告ランプが消えた。このよう技術は、一般の自動車修理の技術者にもないだろう。あるいは、ここまで習得する必要性がない。その後も同様に、彼女が意外な技術を見せるケースが何回かあった。


 また、ある時のこと、私は友人の民主活動家を車に乗せて走行していた。車は、乗車前に彼女にいじられた可能性がある車であった。走行中、突然エンジンから火が出た。その頃から、私は彼女のことを不審に思い始めた。


 さらに、ある場所で銃を撃つ機会があったときのことである。


 同行した彼女は、ライフル銃を撃とうとはしなかった。拳銃を撃つ時になって、彼女も加わった。射撃の経験がある人を含む数人の男性はさっぱり的に当たらなかったが、なんと「郭大尉」の腕前は百発百中であった。

妻を暴露したのは全世界への警告のため


 劉剛氏はまた、妻の出所不明の大金の存在について、次のように明かした。


「彼女の米国での学費は、私に対しては学生ローンで賄っていたと言っていた。しかし後で分かったことだが、それらの費用は中国にいる謎の人物が全て払っていたのだ。また、彼女は毎年、中国の軍部から6万ドルを受け取っており、13の銀行口座を保有している。私が出入金記録を確認できる唯一の口座だけでも、彼女は1年間で28万ドルを引き出していた」


 劉剛氏は、「(海外の民主雑誌)『中国の春』創始者・王炳章氏や、海外の中国連邦党の党首・彭明氏が、いずれも東南アジアで拘束されて中国に強制送還・投獄された件。『中華養生益智功(中功)』の創始者で、米国に政治亡命していた張宏堡氏が、高速道路で謎の事故死をした件。これらの事件の背後には皆、謎の女が存在している。自分もまさに危うく命を落とすところだった」とした上で、自分の妻が中国の女スパイであったことを暴露したのは、このような中国当局の卑劣な手段に対して、国際社会に一層の警戒を呼びかけるためなどと説明した。


大紀元 2011-06-11