古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

三木清


 1冊読了。


 120冊目『人生論ノート三木清新潮文庫、1954年)/20代で一度読んでいるが、全く異なる感銘を受けた。自分の精神的な変化を思い知らされたような気がする。短文であれば、何か普遍的なことを書いているように思いがちだが、本書には思想的格闘を経た強靭な下半身の力が窺える。これと、正反対の位置にあるのが武者小路実篤の色紙であろう。「仲良きことは美しきかな」――ハイ、ご苦労さん。ひとたびは、マルクス主義者として転向を余儀なくされた三木は、戦時中に治安維持法違反の廉(かど)で逮捕され、終戦直後に獄死している。その意味で彼は、人間の弱さと強さとを誰よりも知悉(ちしつ)していた。そんなふうに思えてならない。

安静看護という発想が病人をベッドに縛りつけた

 ではなぜ従来の専門性が、高齢社会と呼ばれる現代の人々のニーズに対応できなくなり、逆に寝たきりや呆けを作り出すに至って結果的に介護の台頭を許すことになってしまったのか。
 その最大の原因は皮肉なことに近代医療の発達なのである。病院の始まりは、野戦病院である。そこは死を待つ場所であった。抗生物質のない時代に、病人とケガ人は、感染の予防も治療もできず、死に至った。医師にできることはわずかの治療、それも現在の知識レベルでは効果があるとは思えないような薬が与えられていただけであった。しかし看護には有効な方法があった。安静を保ち、栄養を補給することである。安静と栄養と“治療”を受けたという暗示によって、回復力のある運のいい若い患者は治癒することができた。
 当時の看護師は、安静の技術を持っていればよかった。栄養を補給することを考えればよかった。だから、いまだに老人に鼻からチューブで栄養を摂(と)らせようとし、そのチューブを老人が嫌がって抜いてしまうから、と、手を縛って安静を強制してしまうのである。それが老人を寝たきりと呆けに追いやってきた。そういった方法論だけではなく、問題となるのが、医療者、看護職の頭の中で「安静を必要とする病人」というイメージが固定化されてしまったことにある。


【『老人介護 常識の誤り』三好春樹(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】