バッハは倹約家だった

 そんなバッハの倹約ぶりを目のあたりにうかがわせる資料が、彼の手書き楽譜である。バッハの自筆楽譜は幾何学的ともいえる美しさをもっているが、そこでの用紙の節約ぶりは、徹底したものであった。なにしろ紙は、当時の貴重品である。その紙を有効に使うために、バッハは、いろいろな手を使う。
 たとえば、曲の終わりで少々スペースが足りないことがわかると、次のページに持ち越さず、余白にぎっしりと詰めて書き込む。音符を書くことが無理ならば、タブラチュアというという文字譜に切り換えてしのぐ。また、オーケストラ曲の総譜に余白ができると、そこに別の曲を書き込むこともある。(中略)
 さらに興味深いのは、オルガン用のトリオ・ソナタ全6曲の自筆譜である。バッハは、得意の縮小書きを駆使して全体を54ページにまとめているが、その自筆譜から別の紙に筆写譜を作成した妻のアンナ・マクダレーナは、同じ6曲に、6割も多い86ページを費やしている。また、弟子による二種の筆写譜も、それぞれ、65ページと95ページかかっている。楽譜を詰めて書く技術においては、誰もバッハにかなわないのである。こうして仕上げられた整然たる自筆譜を眺めていると、節約と凝縮の徹底した姿勢に、バッハの音楽作りの本質をみるような思いがする。


【『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】


J・S・バッハ (講談社現代新書)