高崎隆治


 戦時史研究家・高崎隆治氏の卓見。

(我が)国の対外政策は、時間による自然消滅を期待するか、さもなくば従来型の経済支援という姑息な手段を用いるかのいずれかに頼る以外、有効な手だてを持たないのが現実である。
 かつて世界はこの国を評して「東洋の孤児」と名づけた。「孤児」はやがて、「東洋平和」「アジア解放」を叫びながら侵略に踏み出し、アジア諸国に多大の犠牲を強いたわけだが、いってみればそれは世界を敵にまわしたことの必然的結果であった。
 戦後日本の再出発は、その反省の上に立ち、国連憲章を守り平和国家への道を歩いた。いや、歩くはずであった。にもかかわらず、いま、アジア諸国に不信と反感を噴出させる結果を招いたのは、たんにこの国の政策上の過誤といってすまされない重大な意味をもっている。
 つまり、「平和」とは、状況以前の人間の内面の問題で、アジア諸国の人々の心情を掻き乱す言動は、「平和」などとは対局のものであることを知らなければならないのである。
 最新の情報によればアメリカのジャーナリズムにも、孤立化を深めつつある日本との同盟関係は意味をもたないという論調が出はじめているという。
 かつて私は、ある雑誌に、戦後の日本は危うい綱渡りを演じながらここまでやってきたと書いた。その「危うさ」とは、歴史認識をあいまいにしているこの国の政治姿勢のことだが、それはやがてどこかで必ず破綻するにちがいない十分な条件であった。教科書問題や靖国問題はまさにその象徴といえる。
 ところで構造改革という言葉は、すでに何年も前から使われているが、そこには精神の改革も含まれるという話は聞いたことがない。精神の構造改革は、半世紀前の原点に立ち戻って過去を確認することから始まるが、政治上の基本的最重要課題がなんであるかはそれによってたちどころに明白となる。なにが明白になるかといえば、これまでの平和主義も国際貢献もたてまえだけで、本質は自らを利するためのものであったということである。
 言い方として、いささかこれはきびしすぎるかもしれない。だが、戦争責任はむろんのこと、戦後責任まで抜きにしては、アジア諸国の不信や反感は永久に拭いきれないであろう。慰安婦問題にしても南京事件についても、政府がその事実や責任に関して、真剣に研究・調査に取り組んだことはこれまでにただの一度もない。
 一説によれば、戦争責任のような重大問題が、資料的に明らかになるには少なくとも50年、60年の歳月が必要だという。しかしそれは西欧のことであって、アジアの諸民族とは異なる考え方や感覚に基づいた見解である。とりわけ日本の場合は、時間の経過とともに資料的証拠は隠匿され消滅する。当局が問題を回避しつづける理由の一つはそこにある。
 もはや、靖国問題も教科書問題も、国内の問題ではなく国際問題であることをわれわれは確認しなければならない。