古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 まず、数字から申し上げます。
 釜石市の小学生1927人、中学生999人のうち、津波襲来時に学校管理下にあった児童・生徒については全員が無事でした。ただし、学校管理下でなかった児童・生徒のうち、5名が犠牲となりました。生存率は99.8パーセントです。
 今、トータルな「数」を申し上げましたが、子どもたち一人ひとりについても、語り継ぎたい話がたくさんあるのです。逃げていくときに、保育園の子どもたちを抱きかかえて避難所まで走った子どもがいました。あるいは、おじいちゃん、おばあちゃんの手をとって逃げた子どもがいました。
 私が震災直後に釜石に入ったとき、「わしゃ、孫に助けられた」と、泣きながら学校の先生に俺を述べていたおじいちゃんがおられました。
 地震直後、釜石に出た津波警報の第一報は、予想される津波の高さ3メートルでした。この情報が、その後、6メートル、10メートルと更新されていくのですが、じつは、3メートルという第一報が出た後に、地域は停電してしまいました。したがって、6メートル、10メートルという続報は住民に届かなかった。そのおじいちゃんも、3メートルという情報だけを聞いて、「ウチの前の防波堤は6メートルだから、大丈夫」と思ったと言います。孫が「逃げよう、おじいちゃん」と言ってきたけれど、「3メートルだから大丈夫、大丈夫」と言ってとりあわなかった。そうしたら、孫が泣きじゃくりながら「じいちゃん、だめだ」と言って腕をつかんだというのです。そうなったら、おじいちゃんはしょうがないですよね。孫が泣いてまで言うのですから。「しょうがないな、じゃあ、行くか」と言って避難所へ歩き出し、しばらく行ったところですごい音がした。後ろを見たら、すぐそこまで津波が来ていた。もちろん、家は津波に破壊されていたそうです。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)以下同】


 同じような体験をした大人は他にもいた。

 釜石市では死者・行方不明者が1000人を超えた。8年間にわたる片田の防災教育がなければ被害はもっと大きくなったことだろう。「人が死なない防災」とは単なるスローガンではない。片田に「釜石の奇蹟」を誇る姿勢は微塵も見当たらない。むしろ「敗北である」として我が身を責めている。

 それにしても象徴的なエピソードだ。子供の声に耳を傾けない大人の姿を凝視する必要がある。「孫に助けられた」と泣いた爺さんは、その後、孫の話を聞く姿勢を改めただろうか? そもそも片田の防災講演に対して「いい加減にしてくれ」という住民からの反発があった。地域に対するマイナスイメージを嫌ったのだろう。人は自分の感情を生きる。そして他人の話に耳を閉ざすのだ。大災害ではほんのちょっとした判断ミスが生死を分ける。

 ほとんどの子どもが生き延びてくれたとはいえ、学校管理下になかった5人の子どもが亡くなっています。この子たちには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。命を守ってあげられなかったのですから。
 5人のうち、2人は病気で学校を休んでいました。1人は、避難している途中で親御さんが迎えに来て、引き渡さざるを得なかった。そして、親御さんと一緒に亡くなっていました。
 もう1人は、下校後に母親と買い物をしているときに被災しています。この子は事情がありまして、かわいそうなことになったと思っています。小学校6年生の女の子で、普段はお父さんと2人で暮らしていました。お母さんは、少し離れた町に住んでいた。そういう家庭環境でした。地震当日は3月11日ですから、中学校に上がる準備をする時期でした。やっぱり女の子ですから、女親と相談して買いたいものもいろいろあったのでしょう。そういうことで、久し振りにお母さんが来てくれることになった。この子は、喜んで職員室に来たそうです。先生も、「行っておいで、行っておいで。よかったね」と言って送り出してあげた。そして、お母さんと買い物中に亡くなっていました。
 そして、もう1人。中学2年生の女の子です。この子に対しては、私には自責の念があります。
 私は、中学生向けの講演でこう言っていたのです。
「中学生は、もう助けられる立場じゃない、助ける立場だ。お父さん、お母さんが仕事に行き、高校生が町の学校へ行ってしまうと、地域に残っているのはお年寄りと幼児ばかりだろう。だから、もう君らは助けられる立場じゃないんだ。地域を守っていく立場なんだ」
 この子は、それを実践して亡くなってしまったのです。しかも、津波ではなく、地震で亡くなりました。
 どういうことかというと、家の裏に、1人暮らしのおばあちゃんが住んでいました。女の子はその家に走っていって、おばあちゃんに「逃げるよ!」と声をかけた。おばあちゃんも、逃げる準備をしていた。それを待っているときに大きな余震が来て、箪笥(たんす)が倒れた。女の子は、その下敷きになってしまったのです。「助けられる立場じゃない、助ける立場だ」と教えられ、それを実行したために亡くなったのです。本当に無念であり、申し訳ないという気持ちでいっぱいです。


「くれた」という言葉遣いがおかしいが、深く関わってきたがゆえの思い入れなのだろう。

 情況は異なるがいずれも大人が子供を殺したと考えてよかろう。よく覚えておこう。大人が子供を殺すのだ。たぶん日常においても同様である。子供の意見を封じ込め、躾(しつけ)と称して抑圧することで我々は子供をゆっくりと少しずつ殺している。そして殺され切った子供が大人になるのだろう。


 冒頭1分前後で二人が取り残されてその後、姿が消えている。釜石に津波が押し寄せたのは地震発生からちょうど30分後であった。

 東北地方太平洋沖地震の発生は14時46分18.1秒で、小さな第一波は数分後、青森で観測されている。気象庁は14時49分に大津波津波警報を発表。大津波は15時15分~16時にかけて到達した。それは警報をはるかに上回る高さの波であった。

 関東大震災(1923年/死者・行方不明者10万5000人)は焼死、阪神・淡路大震災(1995年/死者6434人、行方不明者3人)は圧死、東日本大震災(2011年/死者1万5894人、行方不明者2561人)は水死が主な死因である。

 避けられない死と避けられる死がある。釜石の奇蹟が教えてくれるのはその事実である。