古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

集団同調性バイアスと正常性バイアス/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠

 ・集団同調性バイアスと正常性バイアス
 ・エキスパート・エラー

『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 実験を集計すると以下のとおりだった。(中略)
 つまり、【部屋に1人でいた場合は、全員が火災報知機が鳴ってからすぐドアを開けて何か起きていないか確認行動を起こしている。しかし、部屋に2人でいた学生は、1組だけが行動を起こし、ほかの部屋に2人でいた計6人は、火災報知機が鳴っても何の行動も起さず煙に気づいていから行動を起こしている】のである。食堂にいた学生に至っては3分の間、何の行動も起さなかった。
 避難が遅れた部屋に2人でいた学生に聞くと「多分誤報か点検だと思っていた。【まさか火災とは思わなかった】」がほとんどだった。これは食堂にいた学生たちも同じような答えだったが【「皆いるから大丈夫だと思った」】という言葉が付け加えられていた。

 緊急時、人間は1人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「皆でいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。これを【「集団同調性バイアス」】と呼ぶ。先の実験の食堂のように人間の数が多いと、さらにその傾向が強くなる。【集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなる】。お互いが無意識にけん制し合い、他者の動きに左右される。【自分より集団に過大評価を加えている】ことが読み取れる。結果として逃げるタイミングを失うことにもなりかねない。

【『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦(宝島社、2015年/宝島社、2005年『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』改訂・改題)】


 山村は「防災心理を知っているか知らないか、その違いが生死を分ける」と訴える。本書を読んでいれば東日本大震災を生き延びることができた人々もたくさんいたに違いない。読みながら痛恨の思いに駆られた。災害心理学は新しい学問だが、認知科学に基づいており信頼性は高い。生存者の手記やインタビューの多くは愚行と偶然性に支配されていて読めたものではない。単なる僥倖(ぎょうこう)から他人が学べることは耳かきほどもあるまい。

 人は関係性の中で生きる動物であるため必ず他人からの影響を受ける。集団で生きることが進化的に有利であったとすれば集団に同調することは人間らしさといってよい。行列に連なり、流行のファッションを取り入れ、観光地を旅するのが大衆の姿である。納豆が健康によいとテレビ番組が告げれば、我々は慌ててスーパーに向かう。で、各店舗で納豆が品切れになった頃、番組の捏造(ねつぞう)が発覚するという寸法だ。

 日常会話においても同調は明らかで、話が合う人同士は微細な体の揺れ(ダンス)が一致している。特に若い女性に顕著で双方が頷き合いながら「そうそう」と語る場面を時折目にする。

 そして集団が大きくなればなるほど烏合の衆と化す。一人ひとりの役割が小さくなり無責任になるためだ。

「逃げる」という行為は非日常的である。そこに躊躇(ためら)いが生じる。日本人の場合、みっともないという価値観も混入する。一瞬の遅れが取り返しのつかない過ちとなる。

 加えて、非常時には「こんなことは起こるはずがない」と捉え、現実ではなくヴァーチャルではないかと考える【「正常性バイアス」】が働くことがある。韓国の地下鉄火災に巻き込まれた人々は口々に「まさか火災だとは思わなかった」「みんながじっとしているので自分もじっとしていた」と話していた。まさに、正常性バイアス多数派同調バイアスに捉われていたものと思われる。


 韓国で起こった大邱(テグ)地下鉄放火事件(2003年2月18日)では立ち込める煙の中でじっと座り続けている乗客の姿が撮影されている。


 思考が日常の延長線上から抜け出ることは難しい。しかも五官が捉えるのは部分情報である。全体情報は神の視点に立たなければ見えない。スポイルされた空間は安心感を生む。東日本大震災ではクルマで逃げてそのまま流された人々が多かった。建物や乗り物が認知を歪める。大邱地下鉄放火事件では192人が死亡した(再現動画)。

 人間の知覚には歪み(バイアス)がある。集団同調性バイアスと正常性バイアスは何も災害に限ったことではない。人間関係が濃いコミュニティほどバイアスは強くなることだろう。例えば運動部のしごきや集団暴行、マルチ商法グループの暴走、宗教組織の反社会性など。またあらゆるハラスメントは距離の近い人間に対して行われる。

 異常な集団に身を置けば異常であることが正常となる。そして異常なコミュニティには必ず強い同調圧力がある。出来るだけ多くのコミュニティに所属することが望ましいが、もっと手っ取り早いのは異なる価値観を知ることである。その意味で人と会うことと読書は最大の武器となる。

春秋左氏伝』に「安(やす)きに居(お)りて危(あやう)きを思う。思えば則ち備え有り、備え有れば患(うれ)い無し」とある。備えるとは注意を払うことだ。災害心理学を学ぶことは、安きにいて危機を思うことに通じる。



「戦うこと」と「逃げること」は同じ/『逃げる力』百田尚樹