だましたやつが悪いのか、だまされた私たちが愚かだったのか

 福島第1原発事故の被災者は「国策の被害者」だから「政府として最後の最後まできちっと責任を持って対応する」と菅直人首相が言った。国策ねえ。随分、県民を酔わせた言葉だ。甘い夢と苦い思いを呼び覚ます。


 本県に富をもたらすはずが、そうでもなかった。砂鉄資源を生かそうとした製鉄事業は頓挫した。砂糖の国内自給策に乗ってビート栽培に励んだものの、自由化政策に切り替わって製糖工場はたちまち閉鎖だ。食糧増産の掛け声のもと開田に取り組んだら一転、減反の憂き目に遭った。


 むつ小川原大規模開発は全国総合開発計画の核に位置付けた国策中の国策だった。不毛の地を一大工業基地にするという地域活性化の切り札が空手形に終わり、夢ははかなく消えた。悔しさをぶつけようにも、時代が変わったのだからと言われてはあきらめるしかなかった。


 時代の風はいつだってつれなかった。歌の文句じゃないけれど、だましたやつが悪いのか、だまされた私たちが愚かだったのか。国策の被害者が県民だからといって、政府は過去の国策の見込み違いまで償ってはくれまい。夢から覚めて思うのは大樹によりかかる危うさだ


 不信をなじってもむなしい。肝心なのは自分の考えを深め、確かな目を持つことだろう。国民の安全と暮らしを守れない国策を目の当たりにした3.11以降、その思いを深くする。原子力とどう付き合うかの岐路に立って迎えた県知事選は、明日を生きる哲学をぶつけ合うものでなければならない。


東奥日報 2011-05-19