「仏教」という言葉について


 仏教という言葉だが、明治以前は仏法と呼ばれていた。記事カテゴリーに「仏教」を設けているのだが、これは私の信条としては仏法と表記したいところである。ただ歴史としての仏教という意味合いもあるためそのままにしている。


 仏の教えとしての仏教であれば構わないのだが、キリスト教に対する仏教となると教団性が立ち上がってくる。これはブッダの本意にかなわないことだろう。ブッダには一宗を立ち上げようとする意図はなかったはずだ。


 仏法とは教条主義でもなければ原理主義でもない。真実の理法という意味であるのだから、時代や社会に即応して智慧を発揮すればよいのだ。「聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、論争が起こったときにも党派にくみすることがない。彼は不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない」(『スッタニパータ』)。



ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)