月並会第1回 「時間」その一

 時間は過去−現在の間でしか計測することができない。一般的には「将来」(まさにきたる)というが、仏教では「未来」(いまだきたらず)と表現する。時間は過去である。

 時間を計測するのは観測者である。すなわち時間は意識と関係している。それゆえ認識・分析には時間を要する。意識された体験世界を時間が貫く。眠っている間は時間を感じない。夢は意識が働いているので時間を感じる。


 夢や理想は過去の裏返しである場合が多い。我々は過去の延長線上にしか未来を捉えることができない。


 キリスト教……現象世界を「超越」の方向につきぬける/仏教……現象世界を「内在」の方向につきぬける──と広井良典氏は分析している。神の時間は外に流れ、瞑想の時間はゼロ地点で止まる。これが止観。


 時間は概念であるゆえ、永遠は存在しない。観測者がいなくなった時点で時間は消失する。変化という諸行無常の姿が時間の本質なのかもしれない。


 宇宙がビッグバンから始まったとすれば、特異点の向こう側には時間が逆に流れている可能性がある。ビッグクランチが逆回しになっているかもしれない(笑)。


 時間がプランク時間で形成されているとすれば、時間は断続的に流れていると考えられる。とすると、物凄いスピードでコマ送りしているが、実は異なる世界が瞬間瞬間誕生している可能性もあると思う。仏の別名を如来とも如去ともいう。