古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

日本文化という幻想

 自分たちに独自の「文化」があると思いたがるのは、どの国も同じだ。しかし日本人は、思い込みがすぎることで知られている。日本の国民性(とされるもの)に関する一大出版ジャンルまである。日本人論だ。あるアメリカの研究者は日本人論を、日本社会の「特殊性」に関する「国を挙げての思索」と位置づけた。(中略)
 こうした議論には、日本人の文化というものが確固として存在するという前提がある。文化の核には永遠に不変のものがある。どんなに世界が変わろうとも、日本人を日本人たらしめる何かがある。それは日本人の「血」か何かかもしれない――。この「日本人論」的な議論によれば、日本人が点を取れないのは日本の文化のせいだということになる。


【『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー/森田浩之訳(NHK出版、2010年)以下同】

 トルコのたどった道は大切なことを教えてくれる。サッカーにおいて「文化」はさほど意味をもたないということだ。(ドイツ人指導者デアバルが監督に就任し、ドリブルからパス重視のヨーロッパサッカーを導入した)


「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理