〈この男……何者なのだ〉
時頼は背筋にしばしば寒気を覚えながら大部の書巻を読み終えた。
夏も真盛りを過ぎて7月も半ばだ。
いよいよ日蓮が得宗被官(とくそうひかん)の宿屋光則(やどや・みつのり)を通じて『立正安国論』と題する問答仕立てのものを時頼に奏上してきたのだ。
その分量の多さにまずは圧倒された。
だが日蓮の言動に興味を抱いていた時頼は早速に目を通した。
そして衝撃に襲われたのである。
問答仕立てゆえに読みやすく、論旨も明快であるが、中身はすこぶる深い。おなじ僧の身なのでそれがよく分かる。
〈こんな者がこの世に居たとは……〉
信じられない気持ちもした。(中略)まさに炎のごとく熱い舌鋒(ぜっぽう)だ。
繰り返し読んでも唸るしかなかった。
そしてこれは時頼への挑戦に他ならない。
執権の上に立つ北条得宗の身でありながら出家した僧でもある時頼に日蓮は命を懸けて喧嘩を挑んできている。
他の者がこれを読んでも遠い比喩としか感じられないだろう。が、国の纏(まと)めを任せられている時頼にとってはすべてが現実である。(中略)書巻から目を離して時頼は大きな息を吐いた。心を集中したせいか頭の芯(しん)が重い。
〈途方もない男が居るものだ……〉
その思いだけは時頼に強く刻まれた。