古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

江戸城明け渡し

 自分の手柄を陳(の)べるやうでをかしいが、おれが政権を奉還して、江戸城を引払ふやうに主張したのは、いはゆる国家主義から割り出したものサ。300年来の根柢があるからといつたところが、時勢が許さなかつたらどうなるものか。かつまた都府といふものは、天下の共有物であつて、決して一個人の私有物ではない。江戸城引払ひの事については、おれにこの論拠があるものだから、誰が何と言つたつて少しも構はなかつたのサ。各藩の佐幕論者も、初めは一向(いっこう)時勢も何も考へずに、無暗(むやみ)に騒ぎまわつたが、後には追々(おいおい)おれの精神を呑み込んで、おれに同意を表するのも出来、また江戸城引渡しに骨を折るものも現れて来たヨ。しかしこの佐幕論者とても、その精神は実に犯すべからざる武士道から出たのであるから、申し分もない立派のものサ。何でも時勢を洞察して、機先を制することも必要だが、それよりも、人は精神が第一だヨ。


【『氷川清話』勝海舟江藤淳、松浦玲編(講談社学術文庫、2000年)】


氷川清話 (講談社学術文庫)