古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

テレビスタジオの圧倒的な同調圧力

 それは出演する人々が、事前に自主性を出さないように依頼されたり強制されたりしているということではない。そんなミエミエの圧力は、いくらこの愚かしい国内でも、すぐ告発されるだろう。出演者の発言は自由である。言いたいことを言っていい。だが、生放送開始の秒読みキューにより、司会者が画面に登場したとたん、魔法のような主体性・自主性圧殺の力が働く。
 そのほとんどは、司会者の言葉、表情、動作反応と、カメラスイッチャーの切り替えの指先と、中断するCMのタイミングと内容、参加視聴者の反応、女性アシスタントの動き、出演者同士の表情反応、言語反応の組み合わせ、といったような、ありとあらえる(ママ)細部の「質量」が作り上げるものなのだ。しかもそうした全体の結果は、最初からのでっち上げや、グル行為や、意図的な規制や、ヨイショ行為や、馴れ合い・ヤラセ行為よりも、一層悪質な結果を生むのだ。


【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】


 出演者は否応なくシステムの一部となって、プロパガンダの片棒を担がせられる。


おテレビ様と日本人