エディット・ピアフが生まれた日


 今日はエディット・ピアフが生まれた日(1915年)。彼女の代表曲「ばら色の人生」は第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれた。この時期彼女は大変な成功を収め、大きな人気を得る。ワン・ツークラブでドイツ軍高官のために歌を歌うことでピアフはフランス兵捕虜との写真をとる権利を得る。それは表面的には士気を高めるためのものとして行われたが、捕虜達は彼女と共に撮った写真から自らの写った部分を切り取って、脱走計画に使用する偽造文書に貼り付けた。今日、ピアフのレジスタンス運動への貢献はよく知られており、多くの人々が彼女によって救われた。47歳で死去。彼女のライフスタイルゆえに、カトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、葬儀には無数の死を悼む人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業し喪に服した。墓地での葬儀は4万人以上のファンで混雑した。シャルル・アズナブール第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。




エディット・ピアフ わが愛の讃歌―エディット・ピアフ自伝