古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

人間を照らす言葉の数々/『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳

 ・人間を照らす言葉の数々

『悲しみの秘義』若松英輔

ベルトルト・ブレヒトは東独の劇作家である。もちろん共産主義者だ。私が最も忌み嫌うものは「党派制を声高に主張する人物」である。だから○○主義者は全部嫌いだ。ああ嫌いだとも。


 なかんずく政治における主義は厄介だ。右か左かの選択肢を強いられてしまうためだ。上下という視点が存在しないのだから、価値観や思考回路は一次元の線上に収まる。どっちつかずの中途半端な連中が中道を標榜するが、中道内部にあっても右派と左派が存在する。政治主義のグラディエーション。


 世界を単純に解釈してしまうと運動は過激なものとなる。政治であれ宗教であれ。わかりやすい論法が人々を行動に走らせるのだ。社会はいつだって矛盾に満ちている。何らかの思想が大衆の琴線に触れると負のエネルギーが爆発する。


 前置きが長すぎた。ブレヒト共産主義である前に人間主義だった。またブレヒトの人生を見つめると、現代とブレヒトが生きた時代とでは共産主義の意味合いもかなり異なっていたのだろう。そんな気がしてならない。


 本書はブレヒト箴言集である。代表作の文言をテーマごとに集めたもの。味わい深い言葉の数々が長い余韻を響かせる。写針詩(フォトグラム)とは寸鉄詩(エピグラム)に引っ掛けてブレヒトが考案したスタイルであるとのこと。

アンドレア●英雄のいない国は不幸だ。


ガリレイ●ちがう、英雄を必要とする国が不幸なのだ。(「ガリレイの生涯」)


【『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳(みすず書房、2002年)以下同】

曹長●(かすれた声で)俺をぺてんにかけやがったな。


肝っ玉おっ母●あんたは兵隊になったその日からご自分をぺてんにかけなすったんだよ。(「肝っ玉おっ母とその子供たち」)

 君たちに強くお願いしたいのは
 絶えず起こっていることを当然だと思ってしまわないことだ!
 なぜなら今のような血塗れの混乱の時代
 秩序化された無秩序の 計画された放埒の時代に
 人間性が非人間化されたこの時代に
 当然と考えられるものなどあってはならない それが
 不変なものなど認めないことに繋がるのだ(「例外と原則」)


 いやあ痺れますな。そうかと思えばこんなのもある──

「おいで、一緒に釣りにいこう」と釣師がミミズに言った。(「肝っ玉おっ母」ほか数作、ジェローム・K・ジェロームの引用)


 政治家や宗教家が釣師に見えてくる。


 ブレヒトマルクス主義を演劇に導入し「叙事的演劇」という手法を編み出した。「するってえと、やっぱりマルクス主義は凄そうだな」となりそうだがそうではあるまい。政治思想というソフトを芸術次元に汎用し得たのは、そこに思想的格闘があったためで、マルクス主義ではなく飽くまでもブレヒト個人に負っているのだ。これこそがブレヒトの真骨頂だと私は思う。


 彼のユニークな風貌が多くのことを物語っている。世界や人間を面白がっている瞳だ。いかなる不幸や不条理をも笑い飛ばしてみせる、といった不適な面構えだ。

ガリレイ●科学はね、サルティ、ふたつの戦いに携わらなければならないのだ。迷信やお題目という、真珠色にたなびく無知のもやのなかでこけつまろびつしている人類、あまりにも無知なために自分自身の力を完全に発揮することのできない人類、そんな人類には、君たちが今明らかにしつつある自然の諸力(エネルギー)を発展させることもできないだろう。君たちは何のために研究するんだ? 私は科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。もし科学者が我欲の強い権力者に脅迫されて臆病になり、知識のための知識を積み重ねることだけで満足するようになったら、科学は片輪にされ、君たちの作る新しい機械もただ新たな苦しみを生みだすことにしかならないかもしれない。君たち科学者は、時の経つうちには、発見しうるものをすべて発見してしまうかもしれない。でもそれでは君たちの進歩は、人類から遠ざかって進んでゆくものになってしまう。そして君たちと人類の溝はどんどん拡がって、ついには君たちが何か新しい成果を獲得したといってあげる歓喜の叫びは、全世界の人々がひとしなみにあげる恐怖の叫びによって答えられることにもなりかねない。──かつて私は科学者として唯一無二の機会に恵まれた。私の時代に、天文学は民衆の集まる市場にまで達したのだ。このまったく特異な状況の下で、【ひとりの男】が節を屈することをしなかったら、全世界を震撼させることもできたはずだった。私が抵抗していたら、自然科学者は、医者たちの間のヒポクラテスの誓いのようなものを行うことになったかもしれない。自分たちの知識を人類の福祉のため以外は用いないというあの誓いだ! ところが現状で期待できるのは、せいぜいどんなことにも手を貸す、発見の才のある小人の族輩(うからやから)にすぎない。それにね、サルティ、私は一度だって本当の危険にさらされたことはなかったのだと思うよ。数年間は私はお上(かみ)と同じ力をもっていたのだ。だのに私は、自分の知識を権力者に引き渡して、彼らがそれをまったく自分の都合で使ったり使わなかったり、悪用したりできるようにしてしまった。……私は自分の職業を裏切ったのだ。私のしたようなことをしですかす人間は、科学者の席を汚すことはできないのだ。(「ガリレイの生涯」最終稿)


 ブレヒトの筆致にはプロパガンダの異臭が全くない。それどころか花のような香気が漂っている。偉大な芸術は例外なく人間を照らすものだ。彼は人間を愛した人だったに違いない。


宗教的ユートピアを科学的ディストピアとして描く/『絶対製造工場』カレル・チャペック