ウラジミール・ヴィソツキー

 余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の200千人の人々が許可なく集まり、夭折を惜しんだ。
 ロシアのジョン・レノンボブ・ディランと評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。日本では「ソ連尾崎豊」と紹介されたこともあった。
 ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票でニコライ2世スターリンレーニンに次いで4位になっている。


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