古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

聖書の解釈権はローマ法王にしか存在しなかった

 かつてキリスト教における聖書の解釈権は、ローマ法王にしか存在しなかった。プロテスタンティズムは、この解釈権を個人が自由に持つための運動だった。アメリカでは、かつての聖書の解釈権を独占した法王のように、アメリカ民主主義の解釈権をアメリカ大統領が独占しているという構図になっている。聖書の解釈権さえ、大統領が持っているのではないかと感じさせたのがイラク戦争だった。本来、イスラム教やキリスト教は平和な宗教である。それがテロを起こしたり、戦争を起こしたりするのは、十字軍の時代からプリンシプルを具象へ適用する解釈権が、政治権力に集中してきたからである。少なくとも民主主義のもとでは、特定の権力にプリンシプルの解釈権が集中するのは、国民の大半が支持するからである。怖いのは、国民の大半の支持が何らかの洗脳的手法により、その解釈が正しいと思わされている場合である。


【『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(三才ブックス、2003年)】