どうしてもわからないのは、彼らのほうがどこまで理解していないかだ。正常者(ノーマル)たちが。本物たちが。学位を持ち、デスクの前のかけ心地のよい椅子にすわっているひとたちが。
彼女(※精神科医)がなにを知らないか私はすこしは知っている。私が文字を読めることを彼女は知らない。私の症状が、ただ言葉を機械的にくり返しているハイパーレクシアであると思っている。彼女が機械的な言葉のくり返しと名づけていることと、彼女が本を読むときの機械的な言葉のくり返しとのあいだにどんなちがいがあるのか私にはよくわからない。私が豊富な語彙を持っていることを彼女は知らない。あなたの仕事はなんですかと彼女が尋ね、まだ製薬会社に勤めていますと私が答えるたびに、製薬という言葉の意味を知っていますかと彼女は訊く。私が機械的に言葉をくり返しているのだと彼女は思いこんでいる。彼女が言葉の機械的なくり返しと名づけているものと、私がたくさんの言葉を使うことと、どうちがいがあるのか私にはよくわからない。彼女はほかの医者や看護婦や技師たちと話すときはたくさんの言葉を使って、もっと簡単に言えるようなことをながながと話している。彼女は、私がコンピュータの仕事をしていることを知っている。私が学校に通ったことも知っている。それなのに、私がほとんど読み書きができず、かろうじて言葉を発することができるにすぎないと彼女が信じていることと、それは矛盾するということが彼女にはわかっていない。
【『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン/小尾芙佐〈おび・ふさ〉訳(早川書房、2004年/ハヤカワ文庫、2008年)】
(※左が単行本、右が文庫本)