ナセルがスエズ運河近くに軍事拠点を設置することに同意を与えると、イドリースはこれは英国の即時撤退を不徹底にするものとして、ナセルの施政を痛烈に攻撃し、そのためイドリースは逮捕投獄された。その後、イドリースは戯曲『アル・ファラーフィール』を書き、「なに故に一人の人間が他者を専横的な支配の下に置かなければならないのか?」というテーマを生気ある諧謔(かいぎゃく)で作品化し、それが上演されると熱狂的な大衆の支持によって迎えられた。その後もイドリースは、作品によるナセル批判の追撃の手を緩めなかった。
このように、イドリースはエジプト社会に非妥協の姿勢で関(かか)わり、一貫して反骨を貫く作家であった。彼は作家としての自分を次のように語っている。
「私は茶屋の椅子(いす)にステッキと数珠を手にして座しているような作家とは異なる。私は跳躍し、奔走し、憤激し、思索し、挫折(ざせつ)し、狂喜し、活動し、旅し、人に出会い、彷徨(ほうこう)する」
彼の経歴から、アンガージュマンの作家であることは自明だが、さらに彼の言葉を借りてみよう。「私は社会の中の生きた道具だ。社会が気を失ったら私が社会に囁(ささや)きかけ、鼓吹し、抗争に引き出し、時には自分のペンで突き刺して、蘇生(そせい)させてやるのだ」この点は「私の関心は書くことによって惹起(じゃっき)される影響にある」という彼の発言とも通ずるところがある。(「解説」より)
【『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』朝鮮短編集、魯迅、巴金、茅盾、クッツェー、ナーラーヤン、イドリース、マハフーズ(集英社、1991年)】