古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

組織のあるところには、必ず「無責任の構造」がひそんでいる

 組織のあるところには、必ず「無責任の構造」がひそんでいる。この問題は人間社会の永遠普遍の悩みであり、課題である。しかし、現在の日本の産業界を見ると、バブル経済の時代にそれが深刻化して今日の大きなツケになっている観が強い。
 一連の証券会社の不祥事は、特定の顧客にだけ損失補填をしていたという「無責任の構造」を抱えていた。銀行の不祥事は、融資審査で本来はとおしてはいけない案件をとおし、不良債権化する可能性の高い融資案件は自社系のノンバンクに押しつけていたという問題に代表される。乳製品会社の不祥事は、品質管理に関わる管理基準を守らないことが日常化していたところに端を発する。自動車メーカーはリコール隠しをし、老舗百貨店の倒産は、無理な経営展開を大規模にしすぎ、ワンマン体制のため、それにノーを唱える人がいなかったという構造の結果である。
 民間企業だけではない。警察までもが、刑事事件の被害者家族からの操作依頼に対応せず、しかも被害届の改ざんまでしていたという。さらに、医療の現場も、投薬ミスで患者を死亡させるという、恐るべき「無責任の構造」を呈している。私が事故調査委員として関わりをもったJCOの臨界事故(1999年)もじつは、この種の一つにすぎない。
 これらも、まだまだ氷山の一角にすぎないだろう。
 このような事例は、外形的には「不正な状況判断」と「倫理規範違反」という形をとっているが、実際には、盲目的な同調や服従心理的な規範となり、良心的に問題を感じる人たちの声を圧殺し、声をあげる人たちを排除していく構造をもつ。
 これを本書では「無責任の構造」と呼ぶ。
「無責任の構造」は、人間社会が古くからもつ病巣の一つである。
 一つ一つの社会的無責任には、その無責任に内部で声をあげようとして、さまざまな形で圧殺されてきた多くの声なき声がある。良心の喘(あえ)ぎがある。
「無責任の構造」は、その構造を容認する人を飼い慣らす。飼い慣らされることを拒否した人は、自己の良心を鈍麻(どんま)させて沈黙したり、あるいは、職場を去ることを余儀なくされたりして、システムから除外されていく。そのような形で、「無責任の構造」は静かに増殖し巨大化するのである。


【『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】


無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略 (PHP新書 (141))