鎌倉権五郎景政


 私が住んでいる館町(たてまち)という住所は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)の館(やかた)があったことに因(ちな)む。

 この景政にはすごい逸話があります。敵の矢で右目を射られた景政は、その敵を逆に射殺して自陣に戻ります。苦しむ景政を見て、仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、景政の顔を足で踏みつけて矢を抜こうとしました。すると景政は激しく怒って刀を抜き、「矢が刺さり死ぬのは武士の本望だが、足で顔を踏まれるのは恥だから、お前を殺して自分も死ぬ」と言ったそうです。そこで為次は謝って丁重に矢を抜いたという話が、1347年に書かれた『奥州後三年記』という古い戦記に記されています。弱冠16歳の若武者は、この胆力で死後神として祀られました。


門松と鎌倉権五郎景政と『港北百話』

 疵をかう[B イ無]ぶるものはなはだし。相模の国の住人鎌倉の権五郎景正といふ者あり。先祖より聞えたかきつはものなり。年わづかに十六歳にして大軍の前にありて命をすてゝたゝかふ間に、征矢にて右の目を射させつ。首を射つらぬきてかぶとの鉢付の板に射付られぬ。矢をおりかけて当の矢を射て敵を射とりつ。さてのちしりぞき帰りてかぶとをぬぎて、景正手負O[BH にイ]たりとてのけざまにふしぬ。同国のつはもの三浦の平太郎為次といふものあり。これも聞えたかき者なり。つらぬきをはきながら景正が顔をふまへて矢をぬかんとす。景正ふしながら刀をぬきて、為次がくさずりをとらへてあげざまにつかんとす。為次おどろきて、こはいかに、などかくはするぞといふ。景正が[B イ無]いふやう、弓箭にあたりて死す[B イ無]るはつはものののぞむところなり。いかでか生ながら
 足にてつらをふまるゝ事O[BH にイ]あらん。しかじ汝をかたきとしてわれ爰にて死なんといふ。為次舌をまきていふ事なし。膝をかゞめ顔ををさへて矢をぬきつ。おほくの人是を見聞、景正がかうみやういよいよ(<)ならびなし。


【『奥州後三年記 群書類従本』】