古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

九日目と十日目にドラマが起こった/『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎

 紛(まが)うことなき経典本といっていい。同じく明治学院大学の講義を編んだものとしては、加藤典洋著『言語表現法講義』が先に出版されているが、こちらは徹底的に技術志向であったのに対して、高橋本は文を書く営みの根源をまさぐっている。


「自由にものを書く」ためには、「自由にものを感じる」ことが必要である。高橋は学生に対して様々なテキストをぶつける。自由を体現した言葉はおしなべて「反逆」の匂いを放っている。学生達の常識や価値観が激しく揺さぶられる。それはまさしく「言葉との出合い」だ。


 初日に紹介されたのは、スーザン・ソンタグの「若い読者へのアドバイス……」であった。高橋は何の解説もしない。ただ、「窓の外を見てください。見慣れた風景が変わって見えませんか?」と静かに問い掛けた。


 そして高橋自身の小学生時代の思い出を振り返った――

(高橋が小学生時代、感想文を書くために用意された2枚の原稿用紙に2行しか書かなかった。担任はこれを「反抗的態度」と受け止め家庭に連絡。これを聞いた父親が激怒。学校へ行き、校長に対して「小説の感想なんか、どう書いたっていいじゃないか! そもそも、そんなものを書く必要なんかあるんですか?」と文句をつけた)
「元芸術家」としての(私の)父親にとって、芸術というものは、たとえば、感想を原稿用紙に2枚書かせるようなものではありませんでした。
 その前に立って、沈黙するか(感動してなのか、あまりにつまらないので絶句してなのかはわかりませんが)、急いで家に帰り、(いい意味でも、悪い意味でも、とにかくなんらかの刺激を受けたせいで)インスピレーションにかられて、キャンバスに向かって絵筆をふるうもの、そのいずれかだと父親は考えたのです。
 そして、その父親の考え方は、学校では受け入れられないものだったのです。正しいのは、どっちでしょう。
 わたしは、父親の方が正しいと思っています。およそ、芸術というものは(小説でも、絵画でも、音楽でも)、それに触れた時、「感想文」を書きたくなるようなものではありません。


【『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎朝日新聞出版、2009年)以下同】


 では、文章はどこに生まれるのか?

 その相手との話が盛り上がっているとしましょう。たとえば、その相手が、付き合い始めたばかりの恋人だったとか。きっと、楽しいでしょうねえ、すごく。
 ふたりでいるだけで嬉しい。なにを話しても嬉しい。そういう時には、あまり「私」のことを考えたりはしません。
 だって、「私」のことを考えるより、ずっと楽しいことがあるんだから。
 でも、なんだか、相手とのことがうまくいかなくなってきた。ちょっとしたことばのずれで、喧嘩しちゃった。相手を傷つけた。相手が怒った。仲直りしようと思ったのに、もっと怒らせた。なにをしゃべっても、なにをやっても、うまくいかない。
 そういう時、相手が、なにを考えているのか、わからなくなる。でも、それは、相手も一緒のはずではないでしょうか。
 では、どうすればいいのか。どうすれば、相手に伝わる言葉が見つかるのか。
「文章」というものは、そこで発生するべきだ、とわたしは考えています。
 伝えたい相手に、伝わらない。でも、どうしても伝えたい。
 だから、真剣に考える。
 そういうものじゃありませんか?


 文章は分断された世界を統合させるために生まれるというのだ。とすると、自己主張の勝ち過ぎた文章は「真の文章」とはいえない。


 文章に対して、言葉に対して思想的・哲学的アプローチを試みる授業に変化が訪れる。九日目は高橋の私用のために休講となった。そして十日目――

 最初に、あなたたちに、話しておかねばならないのは、それが、きわめて個人的なことだということです。
 そして、わたしの考えでは、きわめて個人的なできごとから出発したものだけが、遠くまで、即ち、あなたたちにまで、目の前に存在しているのに、ほんとうのところは遥か離れたところにいるあなたたちにまで、たどり着くことができるのです。 


 高橋は机を壁際に移動するよう学生に伝え、教壇から降りて学生と同じ目の高さで話しかけた。前回休講にしたのは、高橋の2歳の子が急性脳炎になったためであった。死の淵を彷徨(さまよ)う幼子の姿を見て、高橋は親と子の関係性を見つめ直す。ちょうどその時、高橋は小説を書いていた。作品の中に幼い子が「言葉を失う」場面が挿入されていた。妻が高橋を詰(なじ)る。「あなたが、あんな小説(『「悪」と戦う河出書房新社、2010年)を書いたからだ!」と。


 事の顛末(てんまつ)を高橋は正確な言葉で静かに語る。まるで宗教体験を披歴するかのように。「生の不思議さ」という意味で、それはまさしく宗教的な体験といえた。授業は思想・哲学といった論理的次元を超えて、「生の根源」に触れたのだ。まるで小説そのものといった趣である。


 教育者の本領は「引き出す力」にあることがよくわかる。ソクラテスが書かれた文字よりも対話を重んじた理由もここにあったのだろう。


 最後の講義を高橋は次のように結んだ――

 これでわたしの講義はすべてお終いです。(中略)
 わたしは、あなたたちに、おおいにとまどってほしかったのです。というか、「文章」をうまく書くようになるのとは反対の方向へ、なにも書けなくなるとか、なにを書いたらいいのか、なんのために書いているのか、わからなくなるとか、そうなってほしかったのです。


 案の定、私はそうなってしまった(笑)。数日間書くことができなくなった。身動きできない不自由――そこに自由のスタート地点があったのだ。つまり自由は懐疑とセットになっている。何かを信じる自由よりも、全てを疑う自由の方が重い。