60年代の初めマルセーユから貨客船に乗り、約50日かけてドイツ人の妻を両親に紹介する意図でフランスから帰国した私は、船が神戸の港に近づくに連れ、かなたの町が銀色にきらきら光り輝いている風景に肝を潰した。最初、その正体がまったくわからなかった。真昼間なのに、まるでクリスマスのイルミネートのように飾られて見えたのだ。
船が更に日本に接近するに従い、それが各家庭の屋根に取り付けられていたテレビのアンテナが、太陽に反射している光だと知り、驚きは一種の恐怖に変わった。
それまで私の住んでいた南フランスの大学町、モンプリエで、テレビを持っている家庭を私は当時一軒も知らず、見たこともなかった。人間の視覚を刺激する動く映像は、映画だけだった。ところが、上陸した神戸から東京へ帰る列車の線路沿いの家々には、一軒の例外もなく、このテレビのアンテナが立っていた。それが、石のしっかりした建築物を5年近く見慣れていた感覚を破壊する貧弱で薄汚い木造家屋とのアンバランスへの強烈な違和感とともに、私の恐怖心を一層強めた。「異常」を察知する恐怖だった。本能的ともいえる嫌悪感を伴う恐怖だった。そのときは、まさか自分がそのテレビの世界にずっぽり身を沈めることになるなど、想像もしていなかった。
【『おテレビ様と日本人』林秀彦(成甲書房、2009年)】