理想の星をかかげた旗は、あっけなく下ろされてしまったが、このみじかい年月に、開拓使がこの町に残していったいちばん大きなものは、ひろい道路でもなく、大きな官営工場でもなかった。
札幌農学校である。
開拓の中心は、学問である、この考えが開拓使の方針をはっきりとつらぬいていた。
その学問と技術の底に、〈精神〉をたたきこんだのが、初代教頭クラークであった。
クラークは、明治10年4月、ようやく雪のとけようというころ、札幌を去ってアメリカに帰った。札幌からおよそ25キロの島松まで、学生たちは馬に乗って、見送っていた。
いよいよ別れるとき、クラークは、学生たちに手をふって、いった。
Boys(ボーイズ)
Be Ambitius!(ビ アンビシャス)
(諸君、
理想をつらぬこう)
このみじかい一言は、学生たちの心に火矢となってつきささった。クラークの点じたその火は、燃えて、生涯消えることはなかったのである。
その一期生に、佐藤昌介(しょうすけ)、大島正健(まさたけ)ら、二期生に内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、町村金弥らがいた。
(昭和39年2月)