異空間の俳句たち編集委員会、G・K・チェスタトン、J・クリシュナムルティ


 3冊読了。パソコンが壊れた。今(16日)は、太郎先輩から借用したノートパソコンでネットに接続している。


 23冊目『異空間の俳句たち 死刑囚いのちの三行詩』異空間の俳句たち編集委員会(海曜社、1999年)/読んだのは二度目。序文を寄せた鶴見俊輔が「人間の存在に 頭をたれる」と書いている。犯罪者は人間であった。我々は無意識のうちに犯罪者は、量刑を科せられる「モノ」と認識している節がある。そうでもなければ、「死刑」になどできない。巻末に付された座談会が余計だ。関西弁をそのまま活字にする神経が信じ難い。中途半端な人権意識がせっかくの作品を台無しにしている。


 24冊目『木曜の男』G・K・チェスタトン吉田健一訳(創元推理文庫、1960年)/原書は1906年に刊行されている。南條竹則による新訳が2008に出ている。小さなフォントに辟易させられたが、読み出すと気にならなくなる。ミステリ作品には風俗が色濃く描かれるものだが、この作品は傑出している。一種の二重スパイものと読んでしまうのは間違いである。本書で描かれているのは、キリスト教社会における「結社の文化」であり、カトリックにおける強迫神経症的な「罪の意識」であろう。木曜の男となったサイムはまるでCIAやMI5みたいだ。そして「日曜」こそは「神」であった。


 25冊目『瞑想』J・クリシュナムルティ/中川吉晴訳(UNIO、1995年)/クリシュナムルティ19冊目の読了。10冊の本からの抄録。瞑想に関する箴言集で、句読点がないので詩文さながら。悪い狙いではないのだが、やはりスカスカの余白が気になる。さほど文体に個性がないので意図が裏目に出ている。個人的には横書きというのも好みに合わない。尚、『片隅からの自由 クリシュナムルティに学ぶ』によれば、クリシュナムルティは晩年になって瞑想という言葉を使わないことを明言しているとのこと。多分、仏教という権威ある知識に取り込まれることを嫌ったのであろう。