レーガン大統領暗殺未遂事件

 レーガン政権の船出は暗殺未遂事件に見舞われるという衝撃的なものだった。
 大統領に就任して69日後の1981年3月30日、講演先のワシントンD.C.ヒルトンホテルを裏口から退出した際に、レーガンはジョン・ヒンクリーによって狙撃される。3秒間で6発の弾丸が発射され、レーガンの脇にいた大統領報道官のジェームズ・ブレイディ、シークレットサービスのティモシー・マッカーシーワシントン市警警官のトーマス・デラハンティーの三人が被弾してその場に倒れた。
 レーガンは別のシークレットサービスのジェリー・パーによって大統領専用車に押し込まれたが、そのとき胸に痛みが走った。しかし出血が認められなかったので、車に押し込まれたときの勢いでどこか痛めたのだろうと思ったという。ところがその後パーと話をしているうちに咳き込み、泡立った鮮血を吐いた。これを見たパーは、大統領は被弾しており、しかも銃弾は肺に穴を開けているととっさに判断、運転手に最寄りの病院へ大至急直行するよう指示した。実際に弾丸は大統領の心臓をかすめて肺の奥深くで止まり、かなりの内出血を起していた。救急病棟に到着したころには呼吸も困難な状態で、この直後にレーガンは倒れ伏せてしまう。まさにパーの機転がなければ命に関わる重傷だった。
 それでもレーガンの意識はしっかりしており、周囲の心配をよそに弾丸摘出の緊急手術の前には医師たちに向かって「あなた方がみな共和党員だといいんだがねえ」と軽口を叩くほどだった。執刀外科医は民主党員だったが、「大統領、今日一日われわれはみんな共和党員です」と返答してレーガンを喜ばせている。手術は全身麻酔を必要とする大掛りなものだったが、レーガンは70歳の高齢者としては驚異的なスピードで回復、2〜3週間後には退院して執務に戻っている。
 レーガンは入院中にも妻のナンシーに「ぼくはしゃがみ忘れたんだよ (Honey, I forgot to duck.)」と軽口をたたくなど陽気な一面を見せ続けた。このセリフは1926年、ボクシングヘビー級のタイトル戦でチャンピオンのジャック・デンプシーが挑戦者ジーン・タニーに不意の敗北を喫したときに妻に向かって言った有名な「言い訳」を引用したもの。その後も、演説中に会場の飾りつけ風船が破裂し、場内が一時騒然となったとき「奴は、またしくじった」と一言述べ、会場を爆笑と大拍手に包んだ。
 大統領選挙戦の頃から見せていたレーガンのこうした機智や茶目っ気は全米を魅了して、史上最大の地滑り的勝利をレーガンにもたらすことに貢献したが、これはこの後8年間の政権を通じて変わることがなかった。政策の失敗やスキャンダルなどでいくらホワイトハウスが叩かれても、レーガンの比較的高い支持率は決して急落することがなかったのも、こうしたレーガンの「憎めない人柄」に拠るところがきわめて大きかったのである。
 なおこの事件を受けて制定されたのが、民間人の銃器購入に際し、購入者の適性を確認する「ブレイディ法」(重症を負った報道官に由来)である。


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