古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

創造的少数者=アウトサイダー

『反逆的文学論』(現文社、1967年)の著者吉村貞司氏はこう述べている。

 トインビーが「創造的少数者」と呼んだのが、アウトサイダーにほかならない。文化は彼ら少数者によっておしすすめられた。少数者はいつも社会の秩序の外、社会の常識の外にある。秩序の内部にいたら、あたえられた文化をくいつぶして行くだけだが、彼ら少数者はありきたりの社会、ありきたりの文化に満足することができない。だからこそ、社会に反抗し、戦いをいどむ。その戦いの中から、新しい価値が生み出されてくる。古い文化に頭をなでられて、いい子になるような根性のものには、なにひとつ創造することができない。どんなに大学教授の肩書きをもち、マスコミの波にのっかっていたからといっても、なにひとつじぶんのものを生み出すことができない。創造的少数者は、古いものの害毒にむかって戦いながら、新しい価値をつくり出す。しかしそれはけっしてなまやさしい道ではない。彼らがかならず社会の外にのがれるのもそのためだ。仏陀も、聖パウロも、マホメットも、ダンテも、カントも一度は社会からのがれた。ドストエフスキイもニイチェもやはりそうだ。彼らは社会から退却して、町を遠く離れた荒野の中に、あるいは見しらぬ地方に姿をかくしてしまう。じぶんひとりで問題にとりくむためだ。彼はその孤立の中で、活力と洞察力とを増し、問題のはっきりした解答を得たうえで、ふたたび社会の前に立ちあらわれてくる。その時には、社会に挑戦してうちから、彼の真理、彼の新しい解答で、勝利を得るだけの力をもつようになっている。


 これはクリシュナムルティにもすこぶるよく当てはまる。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】


 とすれば、インサイダーは腐敗的多数者か。ありとあらゆる所属や帰属はインサイダーであることの表明である。アウトサイダーとは反逆者であり反骨の人であり真の革命家を意味する。


クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性


反逆的文学論 サルトル・ミラー・イオネスコ・禅/グロリア・ブックス 3