古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

人間の問題 1/『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ

『学校への手紙』J・クリシュナムルティ

 ・人間の問題 1
 ・人間の問題 2
 ・言葉によらないコミュニケーションの存在
 ・正しい質問
 ・思想する体/『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス

ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト 1


 クリシュナムルティ華厳経(けごんきょう)に該当する作品。四つの大学で行われた講話が収められている。やや難解となっているのは、若き知性に対して真剣勝負を挑んだためであろう。「何とか理解してもらおう」などと下手に出るようなところが全く見られない。プロ野球のピッチャーが高校球児を相手に剛速球を投げているような印象を受けた。


「あなたは世界であり、世界はあなたである」――これはクリシュナムルティがしばしば語った言葉である。私が世界であり、世界が私であるならば、戦争や貧困を初めとする諸問題の原因は、私がつくり出していることになる。


 だが、急にそんなことを言われても困る。確かに私は人一倍暴力的な傾向が強いが、人殺しをしたことはない。10代の頃から戦争には反対する立場を堅持してきたつもりだ。9.11テロイラク戦争と私は全く関係がない。


 おわかりになるだろうか? 私が「関係ない」と言った瞬間、そこに断絶が生まれるのだ。そうして断絶は分断を促し、分断された世界が戦火にまみれ、貧困を放置しているのである。関係が遮断(しゃだん)されると、人は心に痛みを感じなくなる。殺人事件、交通事故死、振り込め詐欺、医療事故、難病、自殺……全部他人事だ。


 つまり、私の世界というのは血縁、地縁、友人、仕事関係の範囲内であって、閉ざされた狭いものとなっており、その世界でしか生を感じられなくなっているのだ。バラバラに裁断された世界は、より大きなコミュニティから必ず支配される。そう、国家だ。例えば極端な話ではあるが、召集令状が来れば私はそれを拒否することができない。きっと、万歳三唱に見送られて戦地へ送り出されてしまうことだろう。


 では、世界を取り巻いているのはどのような問題なのか――

 旅をしていますと、人間の問題というのは、うわべは異なるように見えても、実際にはどこでも本質的に似通ったものだ、ということがよくわかります。
 暴力の問題と、自由の問題があります。
 自分自身の内側においてだけでなく隣人たちとも、葛藤を生じないである程度の品位を保ちつつ平和に暮らすことができる、人と人との真のよりよい関係を確立するにはどうすればよいか、という問題があります。
 そしてまた、アジア全土においてのことですが、貧困、飢餓、貧しい者たちのまったき絶望といった問題があります。
 さらに、この国や西欧においては、繁栄からくる問題があります。節度を欠いた繁栄があるところには暴力が、あらゆるかたちの非倫理的な放縦が存在します。腐敗しきった、不道徳きわまりない社会――。
 組織化された宗教の問題があります。程度の差はありますが、世界じゅうの人びとが拒絶しつつある宗教の問題です。
 そしてまた、宗教心とはなにかという問題、瞑想とはなにかという問題があります。それらは東洋だけのものではないのです。
 さらには愛と死の問題があります。
 関連する問題は数知れません。
 話し手は、インドのものにせよなんにせよ、概念的思想やイデオロギー体系を提示するということはいっさいいたしません。私たちが多くの問題を、その道の達人や専門家とともにということではなく――というのも話し手はそのどちらでもないからなのですが――一緒に話しあうことができるとしたら、私たちは正しいコミュニケーションを築くことができるでしょう。
 けれども、言い表されたものというのは、それがどんなにくわしく述べられていようと、微に入り細をうがっていようと、どんなにうまくまとめられ、すばらしいものであろうと、言い表そうとしているそのもの自体ではないのです。(※ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


 講話の冒頭部分である。クリシュナムルティは「一緒に話し合おう」と呼び掛けながらも、「ただし、言葉を鵜呑みにするな」と突き放している。なぜなら、言葉というものは発せられた瞬間に知識へと変貌するからだ。論理や思考は智慧ではない。「隣人を大切にすべきだ」――誰もがそう考えている。だが現実はそうなっていない。思考や論理で世界を変えることは不可能である。変容が起こるとすれば、そこには必ず智慧が発動される。そして智慧には慈悲が伴っている。


 人類の歴史には「人間を手段化する」力学が常に働いてきた。この重力はヒエラルキーとして結晶した。時々、革命と称してピラミッド構造が破壊されることもあったが、別のピラミッドが築かれただけのことであった。多くの人々を奴隷化したのが人類の歴史であった。これは現在でも変わらない。労働力としての大衆、納税者としての市民と名前が変わっただけの話だ。


 クリシュナムルティが引用するキーワードの一つに「組織化された宗教」というのがある。これまた、人間を依存させ、隷属化し、手段化することを手厳しく批判した言葉だ。信仰とは本来、個人の内面における生の充実であったはずだ。しかし歴史を振り返るとわかるように、信仰とは教会に額づき、寺の言いなりになることを意味した。聖職者は言葉巧みに天国と地獄を説いて、布施をせしめることを生業(なりわい)としてきた。


 日本の場合は天皇と幕府という二重権力(ダブルスタンダード)構造であったが、ヨーロッパは国王と教会が権力を二分してきた。歴史のタペストリーは政治という横糸と宗教という縦糸で織られているのだ。


 人類が抱える葛藤にクリシュナムルティは利剣を振るう。



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