古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

自覚のない障害者差別/『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一

 身体障害者が本音をぶちまけた内容。“差別される側”からの悲鳴に近い意見の数々が記されている。バリアフリーという言葉だけがフワフワと浮遊しているが、日本の現実社会は「段差」だらけであることを思い知らされる。健康で何不自由なく育った若者は、こういう本を読んで新たな視点を身につけることが望ましい。人は、それぞれが異なる世界で生きているのだ。


 目の不自由な川田が一歩外へ出た途端、数々の心ない言葉を浴びせられる。そのいずれもが咄嗟(とっさ)に出たもので、深層心理の黒々とした部分を窺わせる。

 遠足の子供たちが、お行儀よく整列していることなど、まずありません。駅の通路に広がって、駅構内をを我が物顔で占領しているので、白い杖を持った僕は、子供たちの中に入り込んでしまうことがよくあります。
 子供たちはといえば、突然自分たちの領土に侵入してきた僕のことをものともしないのですが、さすがに引率の先生が注意をします。普通の先生は、「はーい、みんな右に寄りなさい」と通路を空けるように促してくれるのですが、5人に1人は、堂々とこう付け加えるのです。
「みんな何してるの! その人をじろじろ見てはいけません。じろじろ見てはいけません」
 あれほど悲しい瞬間はありません。僕は目が見えないだけで、耳はちゃんと聞こえているのです。僕は汚いものなのでしょうか。目を背けなければならない対象だとでもいうのでしょうか。


 障害のある子供とそうでない子供が別々に教育されている今の日本では、遠足でたまたま目が見えない人と遭遇したことは、障害者を理解するための教育の、またとないチャンスだといえるでしょう。
 世の中にはいろいろな人が共に生きている、中には目が見えない人もいること、そして街で目が不自由な人を見かけたらどんなふうに接したらよいかということを、身をもって教えるための恰好(かっこう)の経験です。
「はーい、みんなよく見て覚えてくださいね。もしも街で目が見えない人が困っていたら、こうやって肘(ひじ)に触ってもらって誘導してあげましょう」
 と、先生自らが率先してお手本を示すことだってできるのです。僕は、そのためなら喜んで実験台になります。


【『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一〈かわだ・りゅういち〉(オクムラ書店、2006年)以下同】


 多分、教員に悪意はないのだろう。ただ、障害者が見えていないだけなのだ。経験したことのない事態に遭遇すると、多くの人は動揺を隠せない。そして、隠せない動揺を隠そうと偽る時、必ず失敗をしでかすものだ。かような発言をする教員は、目の前にいる障害者を傷つけた事実にすら気づいていないことだろう。


 果たして我々は、自分が生きている社会に障害者が存在することをどれほど感じているだろうか。身内に障害者がいるとかいないといった次元の話をしているわけではない。医師や看護師、はたまたヘルパーであっても「障害者と共に生きている」人は少ないと思う。


 例えば、こんな件(くだり)があった――

 しかし、銀行に行けばお金を下ろせるというのは、目が見える人にとっての常識ではあっても、視覚障害者の場合は必ずしもそうではありません。なぜなら僕たちは、つるつるの画面しかないタッチパネル式のATMではお金を下ろすことができないからです。
 凹凸のあるボタンなら、最初の1回だけ目が見える人に教えてもらって位置を覚えておけば、次からは自力で何とか操作ができます。でも、タッチパネル式の場合には、画面が平らで手で触って分かる手掛かりがないため、全盲の僕にはお手上げなのです。また、弱視の人が、一生懸命に表示を見ようと顔を近付けすぎて鼻が当たってしまい、「画面に物を置かないでください」と、ATMの音声アナウンスに怒られたという話は有名です。


 私は頭をガンと殴られた思いがした。なぜなら、一度もそうしたことを考えたことがなかったからだ。どんな形であれ、この世に目の不自由な方がいる事実を知っていれば想像力を働かせて然(しか)るべきだった。ユニバーサルデザインに携わっていなくとも、社会全体が想像力を豊かに発揮する必要がある。


 色々な人がいる。色々な人がいていい。だから、多くの人々を心に抱きながら生きてゆける人は、社会のバリアを敏感に察知できることだろう。


 川田は、やや力み過ぎているように感じた。もっとリラックスした文章でないと、読者が疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまう。あるいは、もっとストレートに政治活動や街宣活動をするべきだと思う。