「平成」の他に二つの案があった

 出典は『史記』五帝本紀の〈内平外成(内平らかに外成る)〉、『書経』大禹謨の〈地平天成(地平らかに天成る)〉。政府は「国の内外にも天地にも平和が達成される」との願いを込めたと説明した。
 元号は、戦後に旧皇室典範が廃止されたため、法的根拠のないまま「慣習」として使われていたが、昭和54年、元号法が制定されて「昭和」は政令で定められた。このときからひそかに陽明学安岡正篤中国哲学宇野精一、漢学者諸橋轍次らに「次の元号」候補の選考が依頼されたとされる。
 昭和天皇の吐血を受けて、政府は学者、報道機関代表らに委嘱して「元号に関する有識者懇談会」を設置。天皇死去後直ちに召集された懇談会で(1)平成、(2)修文、(3)正化、の三つの案が審議され、最終的には同日午後2時過ぎの閣議で、元号を平成に改める政令が正式に決定、公布され、翌8日から施行された。


『週刊昭和』第40号