窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』を読んでいると、あるものを鉛筆を手にして描きながら見るのと、鉛筆を手にしないで見るのとでは、まったくちがうというポール・ヴァレリーの文章(『ドガに就て』吉田健一訳、筑摩書房)を思い出します。
いかに見なれたものでも、いざ鉛筆をもって素描しようとすると、それは必ず、いままで知らないでいた相貌をあらわす。「意志して見ること」は、自分がすでに見ていて、よく知っていると思っていたものを著しく変換せずにはおかない。たとえば「親しい女友だちの鼻の形」も、意志して見るのでなければ、まったく知らずにいるのとおなじである、とヴァレリーはすこしばかりユーモアもまじえて書いています。
・視覚と脳