黒い九月事件

 フセイン国王のパレスチナ人弾圧は70年9月に起こったため「黒い九月」と呼ばれているが、やがて同じ名のパレスチナ人テロ組織が誕生し、これが72年9月にミュンヘン・オリンピック村を襲撃し、イスラエル選手団に犠牲者が出ることになる。
 ヨルダン内戦でPLOは潰滅したと考えた世界の人々は、この事件や同じ年の5月30日に日本赤軍の3人が引き起こしたテルアビブ空港(現ベングリオン空港)襲撃(26人殺害)など熾烈な作戦によって、パレスチナ問題が依然として続いていることを知ったのだった。しかしイスラエル側は、その年9月にレバノンパレスチナ・キャンプを爆撃、数百人を殺害し、73年2月にはリビア航空機を撃墜し104人を殺害、4月にはベイルートを奇襲し、PLOの幹部を殺害して報復したのである。


【『パレスチナ 新版』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、2002年)】



Wikipedia
特別暗殺チーム「黒い九月」が起こした「ミュンヘン五輪襲撃事件」
ミュンヘンオリンピック イスラエル選手団人質虐殺事件
『ミュンヘン』の元ネタ 1 ブラックセプテンバー/五輪テロの真実
黒い九月