焼身の瞬間/『焼身』宮内勝典

 ・焼身の瞬間

『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ


 ティック・クアン・ドゥックが死ぬ瞬間を宮内勝典はこう記す――

 黒こげの焼死体から、うっすらと湯気がたち昇っていく。血や、体液が気化しかかっているのだ。今朝いよいよ発つという、まぎわまで読みつづけていた法花経も、万巻の書物も、父母も、友も、幼なじみも、自分らしさを裏打ちするはずの日々の記憶も、あっけなく消えていくだけなのか。燃えあがる図書館のようにすべてが滅び、炭酸カルシウムが残るだけか。蜜と灰か。ほんとうに、それだけなのかと私はまた、性懲りもなく自問する。脳裡に浮上した思いや、これだけは疑いようなく、ぎりぎりあると思える意識のさざ波が、いつか人類の阿頼耶識(あらやしき)となりうるのか。


【『焼身宮内勝典〈みやうち・かつすけ〉(集英社、2005年)】


 そして「人類の阿頼耶識」とはなり得なかった。アメリカの基幹産業は軍産複合体であり、10年に一度は大きな戦争をする必要性が生じる。そう。在庫生理のためだ。ベトナム戦争の後も、湾岸戦争イラク戦争と戦火が止む気配はない。


 正義を叫ぶ声は小さくて弱い。そもそも、正確な情報すら我々は知ることができない。世界がどのような状況に置かれているのか、どの国の人々が犠牲を強いられているのかすらわからない。


 世界を動かしているのは邪悪な権力者達だ。彼等にとっては、焼身自殺の抗議すら無駄な抵抗に過ぎない。