友岡雅弥著『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』には様々なパラグラフが挿入されているのだが、最も衝撃を受けた言葉がこれ――
世界の息吹から遠ざけられて、おまえは、息吹どころか風も入らない牢獄に入れられているのだ。親しいもの、個人的なもの、確実なもの、そういうものはすべて捨ててしまえ。親密なものはみな捨て去るのだ。大胆になれ。どんなに長いことおまえの多くの耳は眠っているのだろう。独りになれ、そして、だれにも通用しない言葉、世界の息吹が与える別の新しい言葉をみずからに向かって語れ。よく知っている道を取り上げ、即座に打ち壊すのだ。ひとに語るときには、二度と会うことのない人々に向かって語れ。世界の中心を捜せ。時間は無視せよ。みすぼらしい蜃気楼である未来のことは放っておくのだ。天国を語るのはもうよせ。星のあることは忘れよ。星は古道具のように投げ捨てるのだ。ただ独り、不確かな道を歩め。紙から文章を切り取るようなことはもう止めるのだ。満ち溢れぬかぎり沈黙していることだ。変装した木々は打ち倒せ。それは旧い命令の変装にすぎないのだ。屈服してはならない。世界の息吹がもう一度おまえを捉え支えてくれるかもしれないのだ。何ひとつ乞うてはならない。乞うてみても、何も与えられることはない。率直になれば、主の苦しみは分からなくても、虫の苦しみは分かるだろう。恵みの隙間から1000フィート下に飛べ。その下の方に、はるか下の方に、世界の息吹が吹いているのだ。
【『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ/青木隆嘉〈あおき・たかよし〉訳(法政大学出版局、1993年)】
まさしく「現代のスッタニパータ」と言ってよい。言葉という言葉が自由奔放に跳躍している。バネの如き脚力こそ、カネッティの思想そのものなのであろう。私は深い意味を探ろうともせずに、何度も何度も声に出して読んでは陶酔した。
51 これはわたくしにとって災害であり、腫物(はれもの)であり、禍(わざわい)であり、病(やまい)であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳(岩波文庫)以下同】
60 妻子も、父母も、財宝も穀物(こくもつ)も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。
74 貪欲(とんよく)と嫌悪(けんお)と迷妄(めいもう)とを捨て、結(むす)び目を破り、命(いのち)を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
ブッダとカネッティが時代を超えて織り成す共鳴音に、ただただ圧倒される。獅子は伴侶を求めず。風雪に面(おもて)をさらして、昂然と独り歩む。その足跡は、人類未踏の荒野を開拓した証であり、未来の子供達が歩むべき進路である。真の偉大さは、無一物であっても、尚偉大だ。
- エリアス・カネッティ
- 日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
- 語もし人を驚かさずんば死すとも休せず/『日本警語史』伊藤銀月
蝿の苦しみ 断想