「なんでも喜ぶ」ゲーム/『少女パレアナ』エレナ・ポーター


 モンゴメリが『赤毛のアン』を発表したのが1908年で、本書が1913年だから何らかの影響は受けていることだろう。それでも甲乙つけ難い面白さだ。


 孤児となってしまった10歳の少女パレアナは、叔母のもとに預けられる。叔母は冷酷な人物だった。パレアナは父親から教わった「なんでも喜ぶ」ゲームを日常的に行う。まずは叔母の家へ引っ越した直後のこと――

 パレアナは箪笥の前に立って、さびしそうに、なんの飾りもない壁を見つめました。
「鏡のないのもうれしいわ。鏡がなければ、ソバカスも見えませんものね」


【『少女パレアナエレナ・ポーター村岡花子訳(角川文庫、1962年)以下同】


 パレアナの孤独が振動するように伝わってくる。

「あなたはなんでも喜べるらしいですね」あの殺風景な屋根裏の部屋を喜ぼうとしたパレアナの努力を思い出すと、少し胸がつまってくるような気がしました。
 パレアナは低く笑いました。
「それがゲームなのよ」
「え? ゲームですって?」
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」
「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくだすったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ」


 両親を亡くした少女が力強く自分の意志で人生を謳歌してゆく。パレアナは困難であればあるほど、心を燃やして「喜び」を見つけ出す。

「喜ぶことをさがしだすのがむずかしければむずかしいほどおもしろいわ」


 常識に縛られる大人達と、自由闊達なパレアナが織り成すギャップが一つのモチーフとなっている。それでも大人達は、パレアナの明るさに魅了される。たった一人の少女の「喜び」が人々の心を溶かし、やがては町全体をも変えてしまう。


 単純と言えば単純、突飛と言えば突飛ではある。だが、女性の権利がまだまだ低かった時代に書かれた小説であることを踏まえると、女性性を見事に謳い上げた作品といってよい。また、物語というものは単純であればあるほど普遍性を増すものだ。


「なんでも喜ぶ」ゲームは、予定調和が支配する日常を打ち破る知恵そのものである。



少女パレアナ (角川文庫クラシックス)