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小田嶋隆による『広告批評』批判 その二/『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆

小田嶋隆による『広告批評』批判 その一/『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆

 彼は『広告批評』という雑誌を創刊した。
 そして、テレビの画面や、雑誌の誌面や、講演の舞台の上でも、繰り返し繰り返し、広告の効用を説いてきた。
 言って見(ママ)れば、広告界のペテロである。
「別にかまうことはないじゃない。誰だって自分のやってる稼業を良く言おうとするもんじゃないか」
 だからあんたは甘いというのだ。
 アマノ君がやったことは、単に広告業界のイメージをちょっとばかり良くしたという程度のことではない。
 彼は、広告を「文化」だかみたいなものに格上げしてしまったのである。
「偉いじゃないか」
 うん、確かにちょっと偉い。だけど、オレはそういういかさま使いは大嫌いなのだ。
 彼は、広告を「批評」した。
「ひひょう?」
 オレは、思ったね。だって、商業用の宣伝手段に過ぎないものをつかまえて、「批評」もないだろうが。
 が、アマノは「批評」した。
 あたかもそれが批評に耐えうる「作品」であるかのように。
 畜生。


【『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆洋泉社)】


 大衆消費社会において広告戦略は不可欠である。どんなに素晴らしい商品であっても宣伝をしなければ売れない。確かに芸術的な広告もある。だが、小田嶋隆の刀は、「広告全体の地位向上を狙った胡散臭い意図」に対して振り下ろされたものだ。これは鋭い。私は全く気づかなかったよ。


 ただし、天野祐吉が行ったことはアメリカ広告界の二番煎じだと思われる。かの国における「広告の威力」=「消費に及ぼす影響力」を知ればこそ、広告界の宣教師となるに至ったのであろう。


 オダジマンはこの後、振り下ろした刀を水平に薙(な)ぎつける。


小田嶋隆による『広告批評』批判 その三/『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆