オムツにしない工夫こそが介護/『老人介護 常識の誤り』三好春樹


 入力したテキストを見直していたところ、書き忘れていることに気づいた。ここのところ、読むペースが異様に速い。ちなみに私は、「」というテキスト編集ソフトを使用している。


 時間の概念を持つのは人間だけだとされている。果たして本当なのだろうか? 嘘だ。賢くなりたいのであれば、もっともらしい常識を疑うことから始めるべきだ。フランス・ドゥ・ヴァール著『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』によれば、類人猿にも時間の概念があることがわかる。


 するってえと、脳機能が高度になればなるほど、時間感覚が発達すると考えることが可能だろう。鶴が千年先まで見通して何らかの計画を練ることはないし、亀が万年の歴史における自分達の存在について何かを発表することもない。


 幼い頃を振り返ってみれば、もっとわかりやすい。小学生だった自分が、まさか本当に大人になるとは予想だにしなかったはずだ。蝶を追いかけ、マサコ(幼馴染みの女の子)の家の栗の木に登り、「やるな」と言われたことを追求し続けたあの頃、時間の概念は次の日曜日くらいまでしか存在しなかった。


 歳をとるにつれて、時間の概念は豊かになる。中年期を過ぎると、歴史をひも解いて人類の行く末に思いを馳せたりする。


 前置きが長くなり過ぎた。私が言いたいことはこうだ。「後先を考えない行為は愚かである」以上。あらゆる事態を想定して先の先まで読む。これが賢さである。羽生善治の如し(うわあ、『決断力』も紹介してなかったよ)。


 未来を志向できない人物は、やることなすことが“やっつけ仕事”となる。今さえよければいいってこったな。


 介護の現場ではこうだ――

 オムツにしない工夫こそが介護なのである。オムツに出た便を処理するのは、介護ではなく“後始末”にすぎない。


【『老人介護 常識の誤り』三好春樹(新潮社、2000年/新潮文庫、2006年)】


 わずかな言葉でありながら、介護に対する骨太の姿勢が光っている。介護というのは、言ってみれば「転ばぬ先の杖」のようなものだ。そこに求められているのは、「自分が杖になる覚悟」であろう。もちろん、「杖」は道具であり手段である。だからこそ、「無私」の人でなければ務まる仕事ではない。たとえ、ヘルパーであろうと、同居家族であろうともだ。


「介護」という言葉は美しい響きを伴っている。しかし実際は、他人のウンコを触れるかどうかという選択を強いられているのだ。


 三好春樹は常々、「“寝たきり”の多くは、“寝かせきり”」と言う。介護の難しさは、“家族の許容範囲”が家庭によって異なり、家族それぞれによっても異なる点にある。はたまた、知識や技術、工夫や知恵を知らない家族が多過ぎることも見逃せない。


 間もなく超高齢社会に突入する。あなたや私が介護される日も、やがて訪れるかも知れない。その時、「自分はどうされたい」であろうか? そんな想像力こそ、介護する側に求められているのだと思えてならない。


老人介護 常識の誤り (新潮文庫)