古本屋の覚え書き

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敢えて“科学ミステリ”と言ってしまおう/『数学的にありえない』アダム・ファウアー

 物語の重要な要素としてSF的な傾向はあるが、私は敢えて“科学ミステリ”と断言したい。統計学、確率論、物理学、量子論脳科学、時間論などが散りばめられている。ストーリー展開は見事なミステリとなっている。アダム・ファウアーは1970年生まれというのだから、恐るべき才能といってよい。著者は幼少の頃に目が見えなくなるという経験をしている。作品の端々から窺えるのだが、多分アダム・ファウアーは共感覚の持ち主だろう。


 本気で読もうとするなら、佐藤勝彦著『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』、V・S・ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』、ビル・ブライソン著『人類が知っていることすべての短い歴史』、苫米地英人著『夢をかなえる洗脳力』を先に読んでおいた方がよろしい。

「よし、いまいったように、クオークには12のちがうタイプがある。ただし、おれたちが生きている現実世界の物質はすべて、アップとダウンのふたつ、それにレプトンというクオークに似た素粒子だけから成り立っている」ジャスパーは息をついだ。「理解すべき重要な点は、クオークレプトンは実際には物質ではないことだ」
「なら、なんなんだい?」とケインは訊いた。
「エネルギーさ。わかるか? 量子物理学によれば、物質は現実には存在していないことになる。古典物理学が物質と考えていたものは、原子からできている元素の合成物であり、その原子はクオークレプトンからできている――いいかえればエネルギーというわけだ。かくして、物質はエネルギーだということになる」ジャスパーはいったん説明を休み、自分の説明がケインの頭にしみこむのを待ってから先をつづけた。「では、エネルギーでできているもうひとつのものはなにか」
 ケインは点と点をつないでいった。すると突然、ジャスパーの複雑な説明がひとつに結びついた。
「思考だ」とケインはいった。
「そのとおり。意識も無意識もひっくるめて、すべての思考は、脳のなかのニューロンが電気的なシグナルを発することで生みだされる。それは知ってるな? すべての物質がエネルギーであるように、すべての思考もエネルギーだ。ゆえに、すべての物質と思考はたがいに結びついている。そこから導きだされるのが集合的無意識――現在、過去、未来にわたってこの地球上に存在したすべての生物の無意識が共有され、つながった-ものだ-斧だ-ロトだ-友だ」
「オーケー」ケインは兄がいまいったことをなんとか理解しようと努力しながらいった。「集合的無意識の形而上的な顕現がほんとうにあるとしよう。でも、どうしてそれが時を越えられるんだい?」
「なぜなら、時間は相対的なものだからだ」とジャスパーはいった。「考えてみろ。光速よりも速い唯一のものは――」
「思考のスピードだ」ケインはあとをひきとった。最後のピースがカチッと音をたててはまった。
「そのとおり。とくに、無意識の思考だ。粒子が光速に近づくと、静止状態にくらべて時間の流れは遅くなる。ゆえに、無意識は永遠だと考えることができる。したがって、無意識は文字どおり時間を超越しているんだ」(中略)
「東洋の宗教や哲学はすべて、宇宙はエネルギーだという考えに基づいています。それが現代の量子物理学によって裏づけられたってわけですよ。それに東洋では、宇宙において人間の心は基本的にひとつだと信じられています。これは、ユング集合的無意識を想起せずにはいられません。
 仏教徒は、万物は永遠ではないと信じています。ブッダは、この世界の苦しみはすべて、人間がひとつの考えやモノに執着することから生まれると説きました。人はあらゆる執着を捨て、宇宙は流れ、動き、変化するものだという真理をうけいれるべきだとね。仏教の視点からすると、時空とは意識の状態の反映でしかありません。仏教徒は対象をモノとしてではなく、つねに変化していく宇宙の動きと結びついた動態過程とみなしています。彼らは物質をエネルギーとしてとらえているんですよ。量子物理学と同様にね」


【『数学的にありえない』アダム・ファウアー/矢口誠訳(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】


 こんな哲学的なやり取りが出てくるミステリなんぞ、そうそうお目にかかれるものではない。私の中では、ジェフリー・ディーヴァー以来の超新星といってよい。