浅尾美和批判の勘違い

ビーチバレー・浅尾ドタキャン プロとしての責任は……


“ビーチの妖精”浅尾美和(22)=エスワン=が5日、岡山県玉野市で開幕した今季国内ツアー最終戦「アイムの家オープン」をドタキャンした。大会主催者は「家族が急病になったとのことで棄権の連絡が入った」と説明。6日の本戦から出場するためビーチ隣接の宿泊ホテルまでは来ていたが、会場に姿を見せることなくとんぼ返りしたという。
 同県内で初のツアー開催とあって、この日は浅尾の試合がないにもかかわらず、観客席やビーチ周辺に100人近くのファンが集まっていた。出場前日は通常、砂の状況を確かめるために本番コートで練習する。ペアを組む西堀もそのつもりでビーチに現れたが、1人では何もしようがなかった。
 浅尾のツアー欠場は、8月末の東京大会から2大会連続。関係者によると、前回は「CM出演企業と大会冠スポンサーが同業種」というのが理由だったという。13日からは福井で、20日からは六本木で特別大会がある。北京五輪期間中もテレビ局の特別リポーターとして大忙しだった浅尾だが、ビーチ復帰のメドは立たない状態だ。


日本ビーチバレー連盟川合俊一会長「人気選手の浅尾が2大会連続で出場できなくなってしまったことは残念。ファンの方にも申しわけなく思う」

記者の目


 親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている。もちろん、家族を大切にする気持ちは分かる。しかし、今や浅尾は“ビーチの顔”である。片田舎のビーチにまで足を運ぶファンのためにも、プロとしての責任を果たすべきではなかったか。彼らは欠場することも、その理由も知らないのだ。
 主催者は「詳しいことは所属事務所に聞いてください」と繰り返した。今大会の欠場を知る前、浅尾を指導するコーチに練習の再開時期を尋ねると、「(事務所から)答えるなと言われている」と返された。いろんな種目で多くの選手や関係者を取材してきたが、こんな対応は初めてだ。
 浅尾がいなければ、ビーチバレーにこれほどの注目が集まることはなかった。だからといって、芸能人を扱うがごとく、周囲が過保護になってしまってはならない。“タレント選手”などと言われることのないように、真のアスリートとして成長する手助けをする必要があるのではないか。(井上学


中日スポーツ 2008-09-08


 ビーチバレーって、そこまで責任が問われるスポーツなのかね? 「浅尾美和」という名前は聞いたことがあるが、メディアが勝手に盛り上げ、けしかけ、囃(はや)し立てておいて、それから梯子を外し、御輿(みこし)を引っくり返しているだけの話だろう。


 大体、スポーツ新聞の記者なんてえのあ、ダニみたいな存在だろ? もう少し、ダニらしくしたらどうなんだろうね。


「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」――勝手な物語をプロ選手に押しつける発想が凄いね。井上学記者が言いたいことは、「俺達が望むように踊れ」というレベルの要求だ。


 プロスポーツ選手というのは、あるスポーツにおいて技量が並外れた人物である。ところが大衆は、そこに「美しい物語」を仮託する。身勝手なまでに、人格・見識・善良さなどを強要する。まるで、「道を極めた人は神に近づいているはずだ」とでも言うように。


 有名人に社会性が求められるのは当然だ。しかし、それ以上の何かを望むのは依存性の表れであると思う。まして、メディアというダニからすれば、「有名人はいくら叩いても構わない」という了解事項がある。


 この記事は、「危険な“あるべき論”」というべき内容で、依存性が反転した攻撃性が“政治的真空状態”を物語っているように感じた。


【※浅尾美和さんの妹が交通事故のため亡くなったとのこと】