古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

崩壊しつつある介護事業/『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉

 タイトルが衝撃的だ。「貧乏人、金持ちになる」よりも凄いね。介護版『王子と乞食』と言いたいところだが、そんな甘いものではない。平澤は言語聴覚士となった現在も尚、失語症と格闘している。

 私が訪問している患者さんの奥さんがこんな話をしてくれました。
「いつもST(言語聴覚士)に叱られて嫌な思いをしました。『毎日やっているのに何故できないの。しっかりやりなさい』と怒られてばかりでした」
 これでは何のための言語訓練なのかということになります。訓練に対する効果、という単純な図式を失語症にも当てはめて、必死でやりさえすれば必ずよくなると考えるSTもいるのです。これは、失語症の方たちにはとても迷惑な話です。
 できないのは患者さんの努力が足りないからではなく、失語症の特徴なのです。このことがわからなくてかえって大きな関係障害を起こしています。
 できないことが、訓練によってできるようになって満足するというのは、確かに素晴らしいのですが、“できないまま”でも満足に生活できるようにしていくことが、プロとしてもっと大切なことではないでしょうか。むしろ、そのニーズのほうが強いと思います。なぜならば、ことばが本人の満足のいくように回復するには、相当な期間と努力が必要なはずですから。


【『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉(雲母書房、2003年)】


 介護とは労多くして功少なき仕事であると思う。要介護者の笑顔を、自分への報酬と受け止めることができなければ、最悪の仕事といっていいだろう。そして、どんな業界にも悪党が存在する。当然ではあるが、「介護で一儲け」をたくらむ連中も多い。しかしながら、その殆どが失敗に帰している。ざまあみろ。


 大体、介護保険が1割負担ということは、9割が保険による診療報酬なのだ。つまり、9割をメーカーから損失補填(ほてん)してもらいながら、9割引でサービスを提供しても儲からない仕事が介護ということになる。


 介護制度自体がきちんと整理されていない現実がある。資格認定すらデタラメだ。介護福祉士が国家資格でありながら、ケアマネージャーが国家資格じゃないって、どういうことなんだ?


 介護の要とも言うべきケアプランを作成するのがケアマネージャーの業務だが、実際の仕事は小学生が夏休みの宿題として絵日記を書かされているような代物だ。利益の9割を厚生労働省に支えてもらっているため、保険報酬の詐取を防ぐ目的で膨大な書類の提出が義務づけられている。環境省は直ちに紙の無駄づかい注意すべきだ。全国のケアマネはCO2を増産していることに、心を痛めているぞ。


 平澤の指摘はあまりにも重い。国家主導で行われているリハビリテーションが、実は生活と乖離(かいり)したものであることを示しているのだ。結局、国が目を光らせているのは、障害者の再起でも何でもなく、診療報酬を減らすという一点のみ。「願わくはリハビリよりも死を」というのが本音だろうな。


 ファンダメンタルとしては、高齢者を医療保険から介護保険に追い出した上で、民間保険にまで押し出す予定である。土俵から締め出された高齢者は、両国駅を通り越して錦糸町あたりまで追いやられることだろう。


 根本的な解決法としては、介護で儲かる仕組みをつくることしかない。こうなると非情極まりないことではあるが、死亡保険とセットで介護を行うしか、今のところ手はなさそうだ。