中国から日本へ仏教が輸入された頃から、江戸時代までを俯瞰した内容。平安時代・鎌倉時代に重点を置いている。
寡聞にして知らなかったのだが、鎌倉仏教の殆どが密教の影響を受けている。また、天台大師の本覚思想を色濃く反映するなど、明らかな思想的変遷が窺える。
(西欧における中世から近世への思想の転換)
第一に、神中心から人間中心の世界観へと転換した。このことはすでにルネサンスに顕著であるが、哲学の世界では、17世紀にデカルトが現れ、「我思う故に我あり」と主張して、根本原理を神から人間の世界へと引き下ろした。また、世俗からの超越に優位を置く価値観から世俗性に重点が移された。例えば、宗教改革においても修道院のキリスト教から世俗のキリスト教へという傾向が顕著にうかがわれる。
第二に、神学的世界観から科学的世界観へと転換した。これも、世界を超越した原理をもとめる立場から、現実の世界のなかに原理を求める立場への転換という点で、第一点と深く関係する。
第三に、価値観の多様化が指摘される。この点で大きな意味をもったのは宗教改革であり、唯一絶対であったキリスト教界が分裂し、それぞれ相手の立場をも認めざるをえなくなった。また、地理上の発見はただちに西欧以外の非キリスト教価値観の承認には結びつかなかったが、やがて時代が下るとともに、キリスト教以外にも優れた宗教・思想があることが知られ、キリスト教の絶対性が崩れることになった。さらにまた、科学的世界観の普及は無神論、無宗教の立場をも生み出すことになった。
西欧が抱えるジレンマと比較すれば、絶対的創造神の存在を認めない仏教は哲学的であり、形而上学的であるため、昇華しやすい。
それにしても驚かされるのは、仏教が政治と深くコミットしてきた歴史である。教義の変貌に政治的背景が深く関わっていることも多い。善意で解釈すれば、プラグマティズムに近い。
教義における「絶対性」は、必ず何かを排撃する。教団という差異を超えて、よりヒューマニズムに溢れた「緩やかな絶対性」が必要だ。例えば、「生命尊厳」という思想に反対する人は少ないだろう。動物や植物の生命も等しく尊厳とする思想が広まれば、環境問題のブレーキにもなる。
思想が生き物である以上、変化は避けられない。問題は、よりよい変化となっているかどうかである。古(いにしえ)の賢人が、広く世界に知識を求め、迫害に遭っても尚、節を枉(ま)げなかった生き方は、多くの示唆に富んでいる。