秋葉原通り魔事件 貧困と犯罪のスパイラル


 6月8日、秋葉原歩行者天国で7人が無差別に殺害され、10人が負傷。この日は池田小児童殺傷事件からちょうど7年目を迎えた日でもあった。今年の3月23日には茨城県内のJR駅で連続殺傷事件が起こり、4月14日には福岡通り魔殺人事件が起きている。


 今回の事件では早くも「派遣」というキーワードがクローズアップされている。トヨタの関連会社で働いていた犯人が雇用不安を抱えていたことも既に報道されている。ここでもう一つ、「貧困」という言葉が浮かび上がってくる。


 本当は「貧困」が犯罪を生むわけではあるまい。後期高齢者だと犯人よりもはるかに劣悪な環境で生きている人も多い。庭に植えている野菜で、何とか露命をつないでいるお年寄りを私は知っている。


 犯行の動機に「もてない」こともあったようだ。つまり、派遣社員もてない男=社会からの疎外感、という構図が見えてくる。


 問題は彼等の怒りの矛先(ほこさき)が、会社の上司など、自分よりも上の階級に向かわないことだ。無防備な通行人を襲うなどといった卑劣な行為は、いじめられっ子が別のいじめられっ子を探しているような姿だろう。いや、それ以下だ。


 日本の社会が二極化(いわゆる勝ち組、負け組)しつつあると言われて、すっかり慣れっこになってしまったが、負け組の怒りが、弱い者(通行人など)に向かっている現実が恐ろしい。彼等は自分の行為によって、完璧な弱者となり、社会からドロップアウトしてゆくのだ。


 そして、理解不能な犯罪が起こるたびに、警察がほくそえむ結果となる。街には監視カメラがどんどん増え続け、警察官が大手を振って取り締まりがしやすくなるような社会になりつつある。


 我々はそろそろ、「いつ殺されてもおかしくない社会」で生きていることを弁える必要がある。そうやって身構えてゆくしか、生き延びる術(すべ)はない。小さなお子さんがいるお宅では、護身術や格闘技を習わせるべきだと本気で思う。外を歩き、移動するだけでもリスクが高まっている。


 そんな社会の根っこにあるのは、政治に対する不信感と無関心であろう。30年前なら労働者の連帯も実現可能だったが、派遣社員はバラバラに引き裂かれている。結局、一人ひとりが本気で政治を監視するしかない。