ニュース拾い読み・書き捨て 33

袴田事件 元裁判官「心証は無罪だった」

 静岡県で66年に一家4人が殺害された「袴田事件」で、一審の静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官が9日午後、「心証は無罪だった」と明らかにした。この事件は66年6月、静岡・清水市(現静岡市)でみそ製造会社専務・橋本藤雄さん一家4人が殺害され、2か月後に元プロボクサー・袴田巌死刑囚(70)が逮捕されたもの。


 検察側は、袴田死刑囚がアパートの家賃欲しさに刃渡り12センチの「くり小刀」で4人を刺殺したと主張した。一審の静岡地裁は68年9月、この主張を認めて袴田死刑囚に死刑判決を言い渡し、80年に袴田死刑囚の死刑は確定した。


 一審で死刑判決を下した3人のうちの1人、熊本典道元裁判官(69)は、当時、有罪との確信がなかったが、ほかの2人に従い、死刑判決を下したという。熊本元裁判官は「少なくとも、今まで出ている証拠で有罪にするのはムチャだと。結局、私が裁判長を説得できなかったのは私の力不足。僕自身の責任でもあると、今でも思っている」と語った。


 袴田事件には、冤罪(えんざい)をうかがわせる疑問点が数多く残されていた。凶器とされたのは刃渡り12センチのくり小刀だったが、被害者には15センチ以上の深い傷が残されていた。逃走経路とされる留め金がついた裏木戸は、弁護側の実験では留め金がついたまま扉をくぐり抜けることはできなかった。また、くぐり抜けられるとした警察の検証では、留め金を外していた可能性が高いこともわかった。


 さらに、みそ工場のタンクから見つかった犯人のものとされる血のついた衣服は「袴田死刑囚犯人説」の決定的な証拠とされた。しかし、血のついている位置が不自然で、袴田死刑囚の体格にも合わず、弁護側は警察による証拠のねつ造だと主張している。


 弁護側は裁判のやり直しを求めたが、静岡地裁と東京高裁に棄却され、現在、最高裁に特別抗告している。


 熊本元裁判官は「あの判決書きの表現は後からつけた理屈です。書いた本人がそう言って四十何年か悩んでいる」「私は言ってみれば(死刑判決を出した)殺人未遂犯ですよ。片棒を担ぎかけた。彼に会ったら黙っているしかない」と述べた。


 ボクシング元世界チャンピオン・輪島功一さんらは、ボクサーへの偏見が袴田事件にはあるとして支援を続けている。輪島さんは去年12月、「これは冤罪だと。(袴田死刑囚に)寿命のあるうちに外に出てきてもらって、みんなでボクシングを観戦して『俺、頑張って良かった』と思ってもらいたい」と話している。


 再び裁判への扉は開かれるのか。袴田死刑囚は10日、拘置所の中で71回目の誕生日を迎える。


【日テレニュース 2007-03-09】


 一見、いいニュースに見える。熊本氏の善良な心が、苦悩を深いものとしていたことは疑う余地がないだろう。記者会見で流した涙にも嘘はなかったはずだ。無罪を信じて戦っている人々に、大いなる追い風を送る行為だった。私のような一般人には想像もつかない勇気を必要としたことだろう。


 しかし、である。良心の呵責に苛まれる40年もの間、罪もない人間が獄につながれていたことを踏まえると、私はこう言いたい――「だから、何なんだ。それが、どうした」と。


 自分に嘘をつきながら数十年もの間、チマチマと苦悩してきた人間の良心なんぞは、所詮、偽善に過ぎない。なぜ、命を懸けて行動しなかったのか。どうして、もっと早く立ち上がらなかったのか。


 こんなフラフラした人間が下す審判とは一体、何なのか。「法の下の平等」なんぞは幻想に過ぎない。警察は、無実の庶民を犯罪者に仕立て上げ、巨悪にどっぷりと浸(つ)かっている連中は野放しにしているのだ。


 アメリカで市民が銃器を所持するのは、我が身は自分自身で守るという自衛意識からだが、最終的には警察と戦う覚悟が込められている。私は銃器社会に賛同する者ではないが、その精神には共感を覚える。


 権力の名を借りた不正や暴力が横行すれば、市民も暴力によって対抗するしか術(すべ)がなくなるだろう。


 私が見たニュース番組に限れば、いずれも“冷静に”論じているキャスターばかりだった。所詮、他人事だ。自分の足さえ踏まれなければよしとするような馬鹿者ばかりだ。私はブラウン管に向かって唾を吐いた。