古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ニュース拾い読み・書き捨て 27

 以下、東京新聞より――

物腰柔らか 仕事に誇り 1年前本紙取材/丁寧に『カーテンの洗い方』


 かつて取材に応じてくれた○○容疑者が逮捕されたと聞き、衝撃を受けた。昨年3月28日の本紙生活面に「カーテンの洗い方」を掲載したが、そのとき協力を依頼したのが○○容疑者だった。 (生活部・渡部穣)


 生活部に配属されて間もないころ、このテーマでどこに取材しようかと探し、○○容疑者が店長をしていたカーテン店にお願いした。店は小さいが雰囲気が良さそうで、○○容疑者の受け答えが丁寧だったからだ。
 取材時間は予定の一時間を大幅に超え、2〜3時間に及んだ。「店の近くのお客さまが多いので、お宅におじゃまし、どんなデザイン、色がお部屋に合うのか、相談に応じることもあります」と○○容疑者。オーダーメードを誇りに思っていたようだ。物腰が柔らかで低姿勢な人だった。
「売ってしまったらそれで終わりではない。洗い方に関してもよく質問されるので、専門のクリーニング店を紹介するなどフォローしています」。きちんとした服装と受け答えがいかにも高級店の店長らしく、柔和な笑顔が印象に残った。
 当時の取材ノートを見ても、雑談した家族の話に関する記述はないが、私と同じくらいの年齢で「子どもはかわいい」という話で意気投合したことを覚えている。
 それから一年余り。男児投げ落としは○○容疑者の犯行に間違いないのだろう。だが、「本当に?」という疑問は大きくなるばかりだ。これまで支局勤務などで事件取材にかかわるたび何度となく周辺住民から聞いてきた「なぜあの人が?」。そのショックを自らが体験することになろうとは思ってもいなかった。それが本当なら何を信じれば……。子どもにどう教えたらいいのか分からない。暗たんたる気持ちになる。


 この記事が非常に人間的に感じるのは、第二者の立場で書かれているためだろう。通常、ニュースというのは第三者という客観的な視点で書かれる。そこには、冷たい事実しか存在しない。だが、容疑者と関わったことのある人間として、事件の意外性や、自分の苦悩を赤裸々に綴っていて、好感が持てる。ジャーナリズムの新たな方向性として、こういう視点があってもいい。