古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ニュース拾い読み・書き捨て 19

 久々の復活。それにしても酷(ひど)いニュースが多いねえ。

父親をネクタイで絞め殺す、39歳鉄筋工を逮捕(千葉)


 千葉県警市原署は11日、父親の首をネクタイで絞めたとして、同県市原市八幡、鉄筋工H.T容疑者(39)を殺人未遂の現行犯で逮捕した。
 父親は搬送先の病院で死亡し、同署は容疑を殺人に切り替えて調べている。
 調べでは、田代容疑者は同日午前10時20分ごろ、自宅で父親の無職、Hさん(67)に「バス代が足りないから100円くれ」と頼んだが、断られたため口論になり、自分が身につけていたネクタイで弘さんの首を絞めたあと、自ら110番通報した。
 同署で詳しい状況を調べている。T容疑者はHさんと二人暮らし。犯行時は酒を飲んでいたらしい。


【読売新聞 2005-12-12


 息子にしてみれば、父親の命はバス代以下だったということか。酔った挙げ句の凶行とはいえ、酷(むご)過ぎる。ここ最近、心の中を氷点下の風が吹き抜けるような事件が目立つ。学習塾で小学生の児童が、講師に殺害された。これじゃあ、どんなセキュリティ強化をしても、未然に防ぐことは無理。


 昔は、「魔が差した」なあんて言葉があったもんだ。それなりに情状酌量の余地を窺わせる事件もあった。今時の犯罪ときたら、想像する気にもなれないのばかり。


 人は意味に生きる動物だ。だから、事件が起こる度に、いかめしい顔をした評論家が出て来て、「心の闇」を解説してくれる。犯罪者が特殊な環境で育ったことを強調し、彼等(あるいは彼女等)の異常性を極端に拡大し、“我々の社会”に不適格であることを教えてくれる。


 刺激を求めてやまない大衆は、テレビに釘づけとなり、勢いよく新聞を開き、聞きかじった情報を“酒の肴(さかな)”にする。一晩経てば、またぞろ事件を待ち望む。


 まあ、こんなもんだろう。「私は違う」というつもりはないよ。


 ところが、この事件を新聞で知って、私の中で何かが動いた。「そろそろ、“なぜ、殺されたか”を論じる段階は過ぎたのかも知れないな」と。事件に至る起承転結に想像力を働かせても無駄な気がしてきた。そろそろ、日本の「治安神話」が崩壊したことを自覚しなければならないように感ずる。我々は、いつでも、どこでも、「殺されるリスクがある社会」に生きている、ということだ。


 となれば殺害状況よりも、むしろ、殺害パターンを客観的に知る必要がある。「なぜ、殺されたのか?」ではなくして、「息子にバス代を借りようして殺される場合もある」ってことだ。皆が皆、「自分には関係ない」と決め込んでいるんだから、論じたって仕方がないだろうよ。