古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

軍事力の新しいかたち

 必要悪の最たるものとして軍事力がある。「なきゃないに越したことはないが、そうもいかんしなあ……」というのが多くの人の本音ではあるまいか。同じ暴力装置でも、警察が市民生活の安寧を守るのに対し、軍事力の場合は、国家を守るための防御、あるいは攻撃を目的とする。


 折しも、参議院選挙が近づいた今頃になって、民主党は掌(てのひら)を返したように主張を変えてみせた。イラクへの自衛隊派遣が議論されてた頃、民主党議員の面々は、メディアというメディアで「国連決議が必要だ!」と叫んでいた。ところが、いざ、国連決議の元で多国籍軍に参加しようとなると、これに反対というんだから空いた口が塞がらない。


 で、まず私の個人的なスタンスをハッキリさせておこう。イラクへの自衛隊派遣については元々、反対だった(過去形)。いくら仕事だとはいえ、まだまだ危険な外国へ同胞を送ることは忍びなかったからだ。しかし、行った以上は、それなりに頑張って欲しいというのが最近の心情である。


 更に書いておくと、青二才みたいなことを言うなと言われかねないが、私はそもそも自衛隊の存在自体に、あまり賛成ではない。どこからどう見たって、こりゃ憲法に反していますからな。でもまあ、存在する以上は意味のある仕事をして欲しいと思う。これぞ、現実主義。


 9.11テロに対する米国の意趣返しは国際的な支持を集めることはできなかった。テロ=無差別暴力が、弱者からの対抗措置という考えには、到底、賛同できないが、一国の大義が国際的な大義とはならなかったところに、イラク紛争の大いなる教訓があったと考える。


 そしてこのタイミングで、日本は多国籍軍に参加しようとしている。初のPKO参加の時ほど世論は盛り上がってないが、我が国が新しい岐路に立たされていることは間違いない。


 軍事力が必要悪であるとするならば、いっそのこと、国連の指揮下に軍事力を結集してはどうだろう? そう、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』の路線である。


 これだけ、情報や人や物が国家という枠組みを越えて流通しているのだから、最早、国益に縛られた発想は古い。そこからもう一歩、脱却して、世界益・人類益という視点に立たなければ、現在の米国のように判断を誤る可能性が大きくなってゆく。


 この際だから、自衛隊を国連にプレゼントして、“日本のための自衛隊”から“世界のための自衛隊”へと変身してくれると面白いのだが……。


 取り敢えず、米国の軍事力を上回る国連軍を作り上げ、各国の軍事費が平和のために利用されるようになることを願う。