古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『パッション』メル・ギブソン監督

【7点】
・出演:ジム・カヴィーゼルマヤ・モルゲンステルン


 タダ券があったので、最終日ギリギリで『パッション』を見てきた。ぱ・る・るプラザMACHIDAにて。この映画館、何をもったいぶってんだか、入場整理券を配ってから、わざわざ案内人を立てて、観客を数人ずつ入場させるという、馬鹿げた運営をしていた。おまけに画面の小さいこと! まるで、田舎の公民館を思わせるほどだった。


 映画を見た人が、ショック死したり、自首したり、何かと話題が多い。米国では、『ロード・オブ・ザ・リング』を上回る興行成績だそうな。


 前田有一氏がこきおろしていたので、さほど期待はしてなかった。「みんなのシネマレビュー」でも、平均評価は4.95点と低い。


 公式サイトによると、「メル・ギブソンが12年もの構想歳月を費やして映画化。2500万ドル(約27億円)という私財を投じ」て作成したとのこと。とてもじゃないが、12年間も考えて作られた映画とは思えない。きっと、“12年前に思いついた”という程度だろう。


「見ておいてよかった」というのが率直な所感である。何と言っても、『マタイ受難曲』が、よく理解できるようになった。恥ずかしながら、「バラバ」(第54〜66番を参照のこと)の意味を初めて知った。


 また、『デッドコースター』張りの残酷シーンも見ものである。


 見終えた今、敬虔なクリスチャンならどう感じるかを、是非、知りたいところ。


 映画や、小説、あるいは漫画などの表現が、ある完成された世界を描くことを理想としているのであれば、この映画は大したことがない。視点がイエスに近過ぎるのだ。それも、最初から最後まで。多分、臨場感を狙ったためだろうが、裏目に出ていると言わざるを得ない。


 残虐シーンが取り沙汰されているが、勘違いしちゃいけないのは、何もイエスだけが、非道な目に遭ったわけではないということだ。それが証拠に、イエスと一緒に罪人2名が、磔刑(たっけい)に処せられている(因みに、イエスに釘を打ち込む“手”はメル・ギブソンが担当している)。歴史の狭間では、もっと酷い目に遭ってる人は多数、存在することだろう。文明が未発達で、人権意識などあるはずもない時代にあって、公開処刑は民衆の憂さ晴らしになっていたのではないかと個人的に思う。まあ、現代社会のテレビや映画にとって替わる非日常みたいなものだろう。


 それ故、殊更イエスに対して被害者意識を抱いて同情するのは邪道であると断言しておこう。そもそも、十字軍遠征によって殺戮に明け暮れ、徹底した魔女狩りを行い、肌の色が黒いというだけで犬猫以下の仕打ちをしたのは、いずれもキリスト教徒であったのだから。


 また、常識豊かな人であれば、警吏の連中が、どうしてあれほど残酷なことを笑いながら行えるのだろうとの疑念を抱くかもしれない。だが、それは浅見である。人は皆、残虐性を持ち合わせているのだ。


 こういう心理学の実験結果がある。被験者の目の前には、電流のスイッチレバーがある。被験者からは見えない場所に電気イスがあり、人が座っていると説明される。で、このスイッチレバーを押すと、少し離れた場所から叫び声が上がる。被験者は、更に電流を上げるよう指示される。叫び声が1オクターブ高くなる。この時、被験者となった人々の100%が笑い声を漏らしたのだ。実際には電流は流れてなく、演技の叫び声を上げているだけだった。このように、人間は全く別の環境下に置かれれば、いくらでも残虐な行為を行うことができるのだ。戦時ともなれば、数多くの見本があることだろう。(スタンレー・ミルグラムが行った「アイヒマン実験」)


 まあ、そんなこんなで、この作品ではイエスを救世主として描くことに失敗していると感じた。イエスは、少しばかりの預言と奇蹟を行った凡人に見えた。ラストの復活のシーンも、颯爽としているだけで、不思議な感銘を受けるような代物ではない。


「バラバ」に次いで、よかったと思ったのは、十字架から降ろされたイエスの遺体を胸に掻き抱くマリアの姿だった。これぞ、ピエタ像。ジム・カヴィーゼルマヤ・モルゲンステルンの二人が、本物のイエスとマリアに見えた。ミケランジェロはピエタ像を2体作成しているが、25歳の時の作品ではなく、未完成の遺作となった「ロンダニーニのピエタ」のイメージそのままだった。マリアがイエスを引き上げているような、イエスがマリアを背負っているような、妙なる均衡がそこにはあった。


 人類の罪を一身に背負うという覚悟は見上げたものだ。しかし、あの程度の拷問で、担えるような代物ではないだろう。神はイエスを見捨てた。イエスの最期に希望を見出すことはできない。何て気の毒な人なんだ、以上である。


 ただ、映画の内容はともかく、2000年もの長きにわたって欧米の人々の心をつかんできたのが、イエスの生きざまであったことは疑う余地がない。