古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

森達也インタビュー 3

――あのー、『A』から『A2』にかけての話ですが、もうオウムはテーマとして取り上げない、と、ずいぶん発言されていましたね。


森●はい。


――それで、要するにもう一度取り上げよう、として、『A2』をつくることになった、一番根っこにある理由をうかがいたいと思っているんです。


森●それは、『A2』のあとがきに書いちゃったんですけど、『A』のときにぼくがもう撮らない、って口走っちゃった理由は一つじゃないんですよね。でもいちばん大きな理由は、「もう撮れないだろうな」ということです。『A』は、制作段階の時点で、非常に偶発生が強い映画でした。

「……もしかしたら森さんは、信頼できる人なのかなという印象を私は持っています」
 僕は沈黙していた。初対面のこの日、いきなり彼(荒木)の口からこんな親密な言葉が出てくるなどまったく予想外で、どう反応してよいのか判断がつかず絶句していた。
「……どうしてですか?」
「はい?」
「どうして僕が信頼できるかもしれないと思うのですか?」
「手紙です」
「手紙?」
「マスコミの方は皆、電話かせいぜいFAXです。森さんのように何度も手紙をくれた方は他にいませんでした」
 ドキュメンタリーを作ろうと思いたったとき、基本的に僕は撮影対象に手紙を書く。もちろん会って離すことがいちばん確かであるが、会う前には基本的には手紙を書く。電話は確かに便利だが、特に面識のない相手と話す場合、微妙なニュアンスが伝わらないケースがあるからだ。そしてこの手法は、撮影対象者との関係性が何よりも重要なドキュメンタリーというジャンルを志す人なら、たぶん誰でもやることのはずだ。普通の作業のはずだ。(14p)


【『「A」撮影日誌 オウム施設で過ごした13カ月森達也現代書館)】

『A』の偶発性


森●ぼく自身が彼らを撮ろうとした瞬間、社会から疎外されて、彼らと同じような境遇で彼らを撮る、という偶然があって、不当逮捕の件もそうですよね。


――はい、ビックリしました。


森●けっきょく不当逮捕の一件があってからぼくと彼らの関係も変わったし、そのときは右往左往しているんだけど、さまざまな出来事が一つの流れに収斂していった。振り返ると、そういう意味で、『A』はぼくにとって希有な作品なんですね。


――作品をつくっていくなかで、取材対象との関係がどんどん変わっていく。その変化も作品に反映されていく。


森●そう。で、作品がより濃密になる方向に変化していったんですよね。そもそも最初にテレビから拒否されたのも、そのおかげで『A』ができたわけですし、渦中でぼくは困惑し、狼狽(うろた)えていたわけだけど。それらの出来事は、ある意味でぼくのつくる映像のテクニックやセンスとは全然違ったところでの話なんです。
『A』は、日本では評判にならなかったけど、ベルリンやいろいろなところで評価されて、かなり熱狂的に支持されたりもした。でも、「これはぼくが支持されているんじゃなくて、そうした経緯を経て、たまたまできたこの作品が支持されているんだな」という気持になって、相当なパニックに陥ったんです。


――パニック?


森●はい。実は、香港映画祭で上映後にまわりから絶賛されて、パニックになって、その夜、九龍の港が見えるバーで、一人で泣いてたんですよ。「もう絶対つくれない」と思って。


――ああ……。


森●これだけ評判になっちゃったら、次つくったときには価値を落とすだろうし、そもそも自分の才能にあんまり自信ないし、これ一発で終わるんだろうなあ、という感じで。そういったこともあって、続編なんてありえない、という発言になるんですね。


――うーん、そういう経緯があったんですねえ。


森●もちろん、あれから社会がどんどん劣悪になっていった、ということも理由の一つです。
 あともう一つは、『A』のなかで描かれたメディアとか警察とか市民は、彼らも記号になっちゃった。あのなかでぼくは「オウム」を記号としてとらえずに、一人の息づいている人間として撮りたかった。その挑戦のなかで何が見えてくるか、というのがぼくの中の一つの大きなモチベーションだったんです。でもそれをやることで結局メディアや警察や市民が、非常に下世話な、野蛮な、思考停止の、といった記号になってしまって。


――うーん。


森●あの不当逮捕の刑事も、家に帰れば親もいれば子もいるし悩んでいるだろうし、いろいろ葛藤もあると思う。それらのすべてを描きたいというのがぼくの本意だから、『A』を観た後の感想で多かったのが、「いやあ、警察ってほんとに悪いんですね!」。これって、「いやあ、オウムってほんとに悪いんですね!」といっしょだろ、と(笑)。


――あはは。その通りだ。


森●結局裏返しにしただけじゃないか、ということですよね。単なる二元論が逆になっているだけだ。これじゃあやっぱり不本意だし、ぼくとしてはもう一回できるんなら、警察やメディアや市民を立体的に描く、ということをやってみたいな、と思ったんですね。なんとなくそういう思いが輻輳していって、プロデューサーの安岡が「とにかくもう一回撮ろう」と言ってくれて、作品にできなくてももう一度カメラをもって行こう、と。そうして、施設を訊ねていった。
 で、行ったら、――冒頭のシーンですけど――ああいうのを観たら、やっぱり止まらなくなる(笑)。
 結局、『A2』では、警察やメディアのほうはあんまりふくらみを持たせられなかったけど、住民との関係については、やっぱり単なる「出て行け!」だけじゃないんだ、ということは、描くことができたと思います。


――ぼくも明らかに成功していると思います。反対運動の住民と信者が、立ち退きのときに一緒に記念写真を撮る(笑)。おっさんが「いやあ、やっぱまずいよー」とか言いながら(笑)、ニコニコしていっしょにカメラに収まる。ああいう非常にいい場面を、「絶対にマスメディアは取り上げねえな」と思いましたよ。


森●そうですね。でも、左翼運動の人たちが、よく『A』の上映会をしてくれるんですが、見終わった感想が「やっぱ国家権力は許せない」と(笑)。


――自分の持っている枠組みにはめこんじゃったんですね。というか、予(あらかじ)め持っている枠組みにはまるところだけを切り取っちゃう。


森●「オウム許せん!」って言っているのと何にも変わんないじゃないか、ってことですよねえ。仕方ないんですけどね、表現行為だから、見る側の都合や環境で見方が変わるのは。
 でも、ぼくはもうちょっと抗ってみたいな、って。
 ぼくの本意は、こっちは白、あっちは黒、じゃなくて、“みんながグレー”だし、みんなが葛藤してるし、たとえば『A2』のなかで、流山で「出て行けー!」って無邪気にやってるおじさんと、藤岡で信者と仲良くなったおじさんと、どこが違うかっていえば、どこも違わない。なにかのきっかけか、なにかの視点の転換があれば、流山のおじさんも「なんだ、お前らそうだったのか」となれるはずだし、ぼくはそれを描きたい。彼らが劣悪だとか許せないとか、そういう感情は全然ない。


【「Publicity」より転載】


森達也インタビュー 4