古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

特養老人ホーム見学記

 先日、特別養護老人ホームへ見学に行った。入浴から、おむつ交換に至るまでを見てきた。私が聞いた限りでは、痴呆が進んでいる方が多いようだった。


 目の前で素っ裸になった男女が、他人の手を介して清潔を保つ――この当たり前の現実を凝視した時、自分の中で「恥」という概念がぐらりと傾いた。それまではどろりとしていた性的欲求や興味が、気化してゆくような感覚に支配された。


 何気なく会話をしていると全く普通に見えるおばあさん。しかし、数分の間に何度も何度も「私、いくつに見える?」を繰り返す。さっきまで穏やかな笑顔を見せていた婦人が、突然怒りを露わにし唾を吐きかける。また、人の顔を見るなり「ばか!」と言う老婆。「イーーーっだ」と私が顔を歪めてみせると、「何よ、変な顔!」とまともな反応をした。スタッフが見てないことをいいことに、お尻ペンペンをすると、大層、喜んでいた(笑)。


 奇態はそこここにあった。おにぎりを二つ平らげて、「握り飯は、まだ来ないの?」と何度も尋ねる人。わけのわからない言葉を大声で何時間も喚(わめ)き続ける人。そして、この世の全てに無関心な顔、顔、顔……。


 足が不自由な人のおむつ交換に、「老い」の現実が顕著だった。顔はふくよかであるにもかかわらず、アウシュヴィッツユダヤ人を思わせるほどの痛ましさだった。寝たきりのせいなのか、お尻は紫色に変色し、汚物まみれだ。申しわけ程度についた肉と皮。何にも増してたっぷりとついているのは、「死」そのものだ。


 スタッフは人数が少ないと見え、作業は激しく、相手を人間扱いしている暇はないようだった。更に、パートの方々は親切な人が殆どだが、社員であるスタッフは妙に態度がでかい。


 自宅で過ごすよりは、はるかに安全といえるだろう。決まった時間の入浴やおむつ交換、薬の服用なども、家族にとっては大助かりなのだろう。だが、それだけの場所である。飼い犬の方がまだマシな人間的生活を送っているはずだ。


 この場所で生きる人々を目にすれば、人は二通りの判断しかできなくなるだろう。「こんな風にまでなって生きたくない」と否定するか、あるいは「この人々に生きる意味はあるのだろうか?」と疑問を抱くか、である。この場所には、人生を肯定する材料は何一つない。


 私が出した解答は――それでも人は生きてゆかねばならない、ということだ。痴呆になろうが、身体が腐ってゆこうが、そんなことは関係ない。生ある限り人は命を燃やし、燃焼し尽くすその日まで生き続けることが正しいと信ずるからだ。


「こんな所に入れられちゃって、もうどうしようもないよ」と嘆く老婆に私は言った。「役目がある内は生きているんじゃないですか?」と。老婆はじっと私の目を見つめ、「確かに、そうかもね」と笑いもせずに答えた。


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