先日、四十の誕生日を迎えた。もちろんこの私の話だ。論語では「四十不惑」と説かれる齢(よわい)だが、人知れず「四十 Fuck!(クソ!)」と駄洒落を飛ばして悦に入っていた。
友人の一人から山崎まさよしのニューアルバム『アトリエ』をプレゼントされた。以前から、「山崎の『未完成』は好い曲だ!」と私が話していたことを心に留めてくれていたようだ。
CDケースがどうも重いと思っていたら、自らが撮影したというポートレートが付録になっていた。こんなモン要らねーーーんだよー、音楽だけで真っ向勝負しやがれ!
山崎まさよしの特徴は声量の乏しい鼻に掛かった声と、うねるような、ねちっこい歌い回し&グルーヴ感溢れるギターということになろうか。これは私の持論になるが、「日本のジャミロクワイ」と言っていいだろう。山崎の方がブルージーな印象が強い。
で、私が気に入っている『未完成』だ。誤解のないように前置きしておくが、この歌が好きだからといって私が未完成だというわけではない。私は既に8歳にして完成された人格の持ち主だった。「短気という人格」だが……。
歌詞の内容は、だらしのない、ひ弱な男の孤独を歌ったもの。ハッキリ言って40になる男性が聞きたくなるようなものではないね。
この曲の好さは70年代のフォークソングを思わせる一直線のヴォーカルにある。私の世代であればイントロを聴いただけでノックアウトされることだろう。ドラムが音頭を取り、オルガンとアコースティックギターがバックを支え、エレキギターが絡みつく。
歌詞については先ほど腐しておいたが言葉は大変生き生きとしている。次に来るボキャブラリーが読めない。易しい言葉でありながらハッとさせられる。
ゆっくりと日が翳るゆるい坂道に
あてどなく転がっている夢がある
ざわめきを離れた狭い路地裏に
やるせなさを紛らす歌がある
我が家の近所の坂道に「夢」が転がっているかどうかは知らない。この歌詞の凄さは、青年が坂道の上をきっちりと見上げているのではなくして、坂道に向かいながらも迷い揺れている視線を見事に捉えているところにある。そして後半2行は、そういう若者に寄り添うことを望む山崎自身の独白だ。こりゃ、ただ者じゃないね。
日を数えるごと染み付くズルさを
開き直ってみたり 言い訳にしたり
山崎は青い。だが心地好い青さである。この曲を耳にすると私は何も手につかなくなる。